とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

4月2日(金)〜8日(木)

4月2日(金)都湯

仕事。前任者の引き継ぎが全くもって適当で困り果てていたのだが、それは周囲も同じだったようで、なんだか気が楽になった。以前よりも仕事をコントロールできている感じがするのは悪くないと思う。湯冷めしにくい季節になってきたので、帰り道銭湯を解禁。膳所の都湯へ。これからも来るだろうから回数券を買った。

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都湯
4月3日(土)TSUTAYA

5時に目が覚めてYoutubeなどを見てだらだらしたのち起床、洗濯、朝食。日記を更新して適当なラーメンを作って昼寝。「まんぼう」の話題を気にしつつ、午後から移動。目的地までの電車の中で、ちょうど昨日閉店した実家近くのTSUTAYAの横を通りかかることに気がついて、窓越しに店舗が見えるところに移動した。TSUTAYAは一瞬で視界の後方に消えていった。閉店後はフィットネススタジオになるとか、ならないとか。はじめてのCDを買ったのも借りたのもあの店だった。おつかれさまでした。

4月4日(日)二面採光

雨。片想いの新譜を聴きながらInDesignで作業。疲れて自炊意欲がゼロだったのでパンを買ってきて食べて、昼寝。何もする気が起こらず、精神がダメな感じになりそうだったのでYoutubeでヨガをして、漫然と物件探しなどをしていた。夜、トークイベントの配信アーカイブを観ながら夕食づくり(大根おろしと豚しゃぶなど)。pha氏や能町みね子氏の恋愛や猫の話を聞く。猫…猫と暮らしたい…。二面採光の最上階角部屋、ペット可、キッチンベランダ広め、家賃お手頃という好条件の物件を見つけるが職場まで少し遠い。見るだけ見てみようかな。直射日光を欲している。

それから『抱擁』のMVが良すぎてもう。

youtu.be

4月5日(月)モルック

久々に残業。帰ってごはんを食べて源湯へ。話の流れでモルック部に入ることになった。なんか芸人さんきっかけで話題?になっているらしい。知らんかった。

molkky.jp

そのうち河原とか公園でやると思います。

4月6日(火)イヤホン

夜、元同僚の友人と会う予定があったので、爆速で仕事して合流。相手の体調が悪そうだったので手短に。けれど今聞いてもらいたい話があり、話せてありがたかった。帰って玉の湯へ。浴槽の淵に腰掛けながら、今の仕事いつまで続けられるかなあ、もし辞めたらああやってこうやって生きていこうか、みたいな考えがどこからともなく湧いてくる。帰宅して、ワイヤレスイヤホンをケースごと落とした拍子に片方なくした。半径1m以内にあるはずなのに見つからない。

4月7日(水)ストリートピアノ

隣人がベランダの敷居を突き破ってきて「コンビニ行く?」と誘ってきた夢ののち起床。いつもに増して眠くて、寒い。地下街にあるストリートピアノで『上を向いて歩こう』をたどたどしく弾いている人がいてよかった。めちゃくちゃ上手い人が弾いてるのに遭遇すると自己顕示欲を強く感じて後ずさりしてしまうのだが、お世辞にも上手いとはいえない人がああいう場所で弾いてくれると「そうやんな下手でもええよな」と思って安心する。 

4月8日(木)「偶然性」

『急に具合が悪くなる』の著者で哲学者の宮野真生子『なぜ、私たちは恋をして生きるのか 「出会い」と「恋愛」の近代日本精神史』を食い入るように読んでいる。恋愛が主題に置かれているが、自己と他者との出会い、それから「偶然性」についての本だ。以下の部分は何度か音読した。

偶然とは「ないことも可能であった」にもかかわらず、「ある」ゆえに私たちに驚きをもあらすものである。そして、そのためには、現実の手前にある無数の可能性を知る必要があった。「京都で暮らすことも可能だった」(略)「大阪で結婚する可能性だってあった」……にもかかわらず、「いま福岡で生活している」。この「にもかかわらず」ゆえに、私たちは偶然に驚くわけだが、それは、現実にならなかった可能性を知ることでもたらされるものである。(第二章「他者と出会うということ」、p.59)

現実にならなかった可能性によって、現在のありようが顕わにされ、そこから新しい未来の形が提示される。そこでは現実は動的に捉え直されている。(同章、p.60)

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