9月25日(土)
最近「あちこちオードリー」をちょくちょく見ている。TVerで。このとき見たのは、出演者の芸人やアナウンサーが「ネガティブポエム」と題したわりとリアルめの悩みを吐露してアンミカとオードリーに聞いてもらう、という回だった。
アンミカの「ポジティブ返し」はちょっとやりすぎだし、若林が思わず「集団セラピーかよ!」と突っ込むようなある種特殊な空気でもあるのだが、人が集まって各々が考えていることを安心して出せて、ちゃんと受け止める人がいて、そこにいる人同士のやりとりを通してなんか視点が変わったり気持ちが軽くなったりする、という過程を見るのは好きだ。テレビショー・バラエティとして作られたものという注釈付きで見る必要はあるし、こういう構造を悪用する輩には気をつけないといけない(なので「壺とか買わされませんよね?」という流れになる)のだが、真摯に話を聞いてくれる人がいたり、人の考えを聞いてハッとするのは嬉しいよね、と思う。黒沢が「話を聞いてくれる人、怒られない環境が吉本にはないんです」と半泣きで言っていたのが象徴的だった。
9月26日(日)
バッテリーが限界だったので携帯を替えた。数ヶ月前にバッテリーを交換してお茶を濁していたのだが、電池が1日と持たなくなってきたのでとうとう諦めた。これを機にSiriの音声入力を使うようになったのだが、これがめちゃめちゃ便利だと気づいてしまった(前の携帯にもあったが使っていなかった)。「買い物リストに重曹を追加して」「5分タイマーかけて」とか一人でつぶやいている。Siriに話しかけるとき、標準語ぽいイントネーションになるのはなぜだろうか。やっぱりああいう機能が出てきたときに見た「モデル」が標準語だったからだろうか(OK,GoogleのCM然り)。でも家で一人で標準語イントネーションで携帯に向かって発言するのはなんか恥ずかしい。誰も見ていないのに。スマートスピーカーを使いこなすような各地のデジタルデバイス猛者たちは、機械相手にどのイントネーションで声をかけているのだろう。
9月27日(月)
ドラッグストアでもらえる紙チラシのクーポン(1品だけ15%オフ)を溜めてはせっせと使っている。クーポン1つあたりの使える期間が3日とかなので、必要な品物を数回に分けて買ったりしており、効率が悪い。おれはサンドラッグの奴隷だ。
9月28日(火)
仕事で、「ある程度デジタル化されているはずなのに、超アナログな修正が必要」という作業に携わることがあり「おれは何してるんやろうか」と思って笑ってしまった。この作業に導入されている技術は大昔(数十年前)に開発されたものらしく、当時は画期的やったんやろうなと思う。システムをまるごと他のものに入れ替えたりすればもっと効率がいいのかもしれないが、なんとなく、さっさと変えちまいましょうよという気持ちにならなかった。これは緩慢に死んでゆく道なのかもしれない、とぼやけた頭で思いながら現状を追認している。
9月29日(水)
気温の変化に身体がついていかないのか、とにかくだるい。
9月30日(木)
久々に行ったサウナ施設でチェンソーマンを読んだ。前に1巻を読んであまりピンときていなかったが2巻以降から急に面白くなってきた。続きが読みたい。
10月2日(土)
暗くなって外に出て自転車を漕ぐと、ああここも飲食店やったんかと気がつく瞬間が何度もある。今の家にはコロナ禍に入ってから引っ越したので、近所の通りに灯りがあって食べ物の匂いがするのが新鮮だ。Twitterで「何もないのに祭りみたいだ」とつぶやいていた人がいたが、そうだなと思う。自分も周りも、どこか浮かれている。自宅マンションの隣は居酒屋で、自転車置き場で鍵をかけていたら焼き鳥の匂いが流れてきた。