とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

6月25日(土)〜7月23日(土)

日記は書こうと思う時期と思わない時期があり、この1ヶ月は後者だった。別に無理に書くこともないのだが、全然書かなくなるのも勿体ないし、間が空いても続けたいので気が向いたことを書きます。

6月25日(土)

神戸の湊山温泉に行った。

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温泉の良さはよくわからんな〜と思っていたが、ここ数年銭湯に入りまくっていることで比較対象ができ、温泉の良さが少しだけわかった気がする。浴室に入ったときは久々の硫黄の匂いにちょっと腰が引けてしまったが、浴室の張り紙のガイドにしたがってみぞおち辺りまで湯に浸かっていると、みるみるうちに首回りまでしっかり温まって驚いた。各地の温泉を巡っている知り合いの温泉マニアのように泉質のことはわからないが、これは確かに各地の温泉に入ってみたくなるわと思った。京都はあんまり温泉ないからなあ。

湊山温泉は2階に「喫泉」という有料の漫画喫茶的な空間がある。壁一面の漫画、ハンモック、押し入れくらいのサイズの個人用ブースなどがあり、丸1日くつげそうな感じだった。

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この日は、小学生の頃に好きだったミニ四駆を題材にした漫画『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』を飛ばし読みした。ハイライトはやっぱり主人公の豪が敵にボロボロにされた自分の愛機(ビクトリーマグナム)を修理して新しいマシンに生まれ変わらせるシーンで、工場の配管から出る蒸気でパテを柔らかくしようとして火傷に耐えるところとか大真面目すぎて笑ってしまう。笑ってしまうけれど、子どもの頃はこういうのを見て自分の持っていたマシンへの愛着が育まれたよなあと思う。はたから見れば「プラスチック製の玩具を修理する」というだけのシーンを、子どもが感情移入できるようにここまで熱量高く描けてしまうこしたてつひろ先生はすごいですね。

画像は拾い物です
7月2日(土)

大文字山に登った。

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この週は早めの梅雨明けを経ての猛暑というか酷暑で、熱中症に内心怯えながら登ったが何事もなく下山できてよかった。1時間そこらで登れて、京都市内を一望できるとてもよい場所だった。山頂付近には登山客にところかまわず声をかけて自身の大文字山蘊蓄(うんちく)を披露する元気なご老人がいて、ご多分に洩れず我々も標的となり、お手製の大文字登山ルートマップや大文字にまつわる短歌?のセットをいただいた。登山口付近に湧水を汲める場所があり、下山時にそれを飲もうとしたらご老人と再会し、「最近水質が悪くなっているから飲まないほうがいい」と教えてくれた。往路ですでに飲んでしまっていたし喉も乾いていたが、この人が言うならと飲むのはやめておいた。ありがとう大文字山マスター。トレッキングシューズも買い替えたし山には定期的に登りたい。

7月11日(月)

5ヶ月ぶりに整体に行った。冬の繁忙期を過ぎてから仕事は比較的落ち着いた(と思い込んでいた)ので「まぁええやろ」と体の不調も放置していたのだが、首をずっと誰かに掴まれている感じに耐えかねて行くことにした。自分は背骨がものすごく歪んでおり、そのせいで身体のバランスが崩れて色々なところに不調が出るのだが、背術のおかげで首がアホみたいに楽になった。翌日もずいぶん久々に「よく寝れた〜」という感覚で目が覚めて、やっぱり定期的にメンテナンスせなあきませんねという気持ちに。

7月23日(土)

熱中症で倒れた。倒れたといっても救急搬送されたとかそういうレベルではなく、日差しの強い中外を歩いていて具合が悪くなり、家に帰って安静にしていても倦怠感や頭がぼーっとする感じが回復しなかったので病院に行った。自分は汗かきなのでわりと脱水症状になりやすい。これまでもそのせいで何度か病院に行ったがあまり真剣に取り合ってもらったことがなかく、今回もどうせ「水分塩分とって安静に」とかしか言われへんやろうなと思っていたが、今回のところはちゃんと身体を冷やす漢方薬を処方してくれた。病院のwebサイトは親しみやすさよりも権威を押し出す感じだったのであまり期待していなかったが、先生はこちらの目を見てちゃんと会話してくれるタイプの人で安心した。近所にかかりつけの内科がなかったが、何かあったらここに行こうと思う。身体は回復した。6月は水無月を、7月は鰻を食べ損ねたのが悔しい。今年は季節ものを楽しんでいきたいのだ。

6月に気に入った曲と

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7月に気に入った曲です。

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6月2日(木)〜16日(木)

6月2日(木)

残業しすぎて疲れている。繁忙期に比べるとそうでもないのだが。

今週で閉業する銭湯を訪ねた。最終日が日曜なので、平日はまだマシかなと思いきやロッカーも満杯、柳行李(やなぎごおり:脱衣かご)も足りないくらいで、浴室のカランも待ちが発生するくらいの超満員。脱衣所も含めると20人くらいいる。正直なところ熱心に通った風呂ではないが、完全に一見というわけでもなく、ここで開かれた落語会にも何度か来た。ここに限らず、いつもは人が少なくて落ち着く風呂(それも経営的には心配になるが)が閉業前に最大瞬間風速を叩き出しているのを見ると、「最後やから」と入りにきた時にはもう「いつも」の風景は見られなくなっていることを実感する。閉業が決まった時点で、日常の風景はどこかへ行ってしまう。柳行李の並ぶ木製のロッカーを眺めながら、なんでこういう場所がどんどんなくなってしまうんやろうか、みたいなところから始まり、自分は一体なんのためにこの人生を使っているのだろうか、次世代(子ども)にバトンを渡すわけでもなく…みたいなことを考えるモードになってしまった。

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6月4日(土)

件の銭湯に結局また来た。脱衣所で、中学生くらいのやんちゃな雰囲気の若者3人組が「店の前で写真撮ってる奴ばっかでうっとうしいわ、どうせ写真撮るだけで入らへんくせに」と悪態ついていた。若き常連を前に、ごめんな写真ばっかり撮って。風呂入るし許してくれと心の中でつぶやいた。これで正真正銘最後の風呂。

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6月6日(月)

昼休み、初めての場所に腰を下ろして食事をとった。人通りが少なく、仕切りで目隠しがされていて椅子と机がある場所。いつもは惰性で自席か食堂で昼食をとっていたが、あまり調子が良くなくトイレの個室に籠ったところで今の場所を思い出した。こういう場所は必要。

夜、件の銭湯で開かれた落語会に来た。噺家の人はすごい。枕から落語にシームレスに移行していく瞬間に圧倒される。喋り一つで場を統べることのすさまじさを感じる。

6月9日(木)

眠くて疲れている。昨日は帰りの電車でなんだか悲しい気持ちになったが、おそらく冷えと疲れと空腹だと思う。このペースで繁忙期に突入すると確実に調子を崩す、ということは10年以上働いていればさすがにわかるので、周りと比べないし無理はしないぞという気持ちに。定時に職場を出て、自転車にまたがって長めの坂を下る。よく覚えていないが解放感で声を出した気がする。人間の生活はこうあるべきだ、みたいなことを。

6月10日(金)

銭湯の水風呂に常連のおっちゃんが飛び込んだ時にしぶきが上がり、それを浴びた近くの若者が反射的に「冷たっ!」と漏らした。少しの間のあと、「冷たかったなぁ、すまんなぁ」「いえいえ」みたいなやりとりがあった。自分はこういうときに「冷たっ!」という言葉は飲み込んで、何事もなかったような顔をするやろうな、と思う。どっかで「何が冷たいやねん、文句あるんか」と言われることに(言われたこともないのに)すこし怯えている。「すまんなぁ」と言ってくれるおっちゃんもいる。

6月11日(土)

午前中に髪を切ってその足でひさびさに図書館に行った。

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冒頭から難しい言葉が並んでおり、おれはこの本に興味あるのか…?と思いながら読み進めていたが「精神疾患」と「権威主義」が2つのキーワードとして挙げられており、どちらも最近関心のある事柄だったのでそこから一気に読んだ。

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6月16日(木)

職場の昼休み。建物の外に出ようとしたら、タイミングが同じになった小綺麗な年配の男性から話しかけられた。「この敷地の中で、この(目の前にあった大きな)木が一番立派かもしれませんね」「我々の人生は瞬きする星のよう、儚いですね」みたいな内容で最初はちょっと面食らってしまったが、最後は職場の同じ者同士にとって当たり障りなく、かつ前向きな話題に着地して、なんて洒落た世間話の仕方だろうかと感銘を受けてしまった。不思議なおじさんだった。

夜、柴田聡子のライブに来た。会場に着いて演奏が始まってから、もっと歌詞をしっかり見てきたらよかったなと思った。柴田聡子の曲は初めて聴く時と歌詞を認識してから聴く時とで印象が変わる。音の響きと意味が乖離していて、使われている言葉と言葉が遠くて、その距離感が好きで聴いているところがある。ライブ中、前の方にいた若い人が貧血っぽい様子で倒れたが、終演後に外で座っていて何事もなさそうで安心した。帰り道、ぬるっとした感触のものを踏んだと思って見たら湿ったティッシュだった。なにか生き物かと思ってぞっとした。

以下は柴田聡子の曲に出てくる、響きが好きな言葉です。

「知る人ぞ知る歯医者の窓」

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「引き寄せ合う光も なつかしい星真似の夢」

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「今日の終わりをなぐさめる 火曜定休の店を」

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「高いレールの上を走る 黄色いふたり乗り自転車」

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「100m9秒で走る、9秒で走る」

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5月15日(日)〜29日(土)

5月15日(日)

久々に実家に帰る。最寄駅から実家に向かう道中、公共施設の掲示板にひろゆきの顔があったので何事かと思ったら市民ホールで開かれる講演会のゲストらしい。ひろゆきをゲストに選ぶ地元の行政はどんな発想しとるんや、世も末やな、とポスターをよく見たら主催は青年会議所。なんとなく納得する。

実家に帰ったのは両親の寝室の耐震対策のため。両親の寝室には大型のタンスがあり、大地震が来たらほぼ確実に下敷きになるのだが、どうも両親ともに対策を施す様子がなさそうなので自分がやることにした。最近地震も多いし。父親は日曜大工やDIYに一過言あるタイプなので、自分が何かしようとするとあれこれ言われるだろうと予想していたらその通りになった。色々言うならさっさと自分でやりなはれ、と思ったが気を取り直して作業した。

5月16日(月)

朝から頭がぼーっとしてやる気が出ない。たぶん冷えと疲れと野菜不足だと思う。予定を入れすぎても疲れて憂鬱だし、かといって暇で手持ち無沙汰でも不安になるし、どうしたらええんやという気持ちに。しかしここで答えのない問いのループに嵌ってもろくなことはないことは目に見えているので、とりあえずコピーを取るなどの単純作業をだらだらとやりながら時間を流す。呼吸を深くして、これは何かの気の迷いだ、と言い聞かせて手を動かしていたら持ち直した。帰って熱い風呂に入って、野菜のたくさん入った味噌汁を食べて早めに寝た。

5月20日(金)

朝から微熱があり、倦怠感もあったので仕事を休んだ。検査を受けるかどうか迷ったが、症状がそこまででもなかったので翌日の体調を見て決めることに。ほぼ1日寝て過ごしながら職場の新型コロナに関するガイドラインを眺め、もし陽性だったら…みたいなことを考える。公衆衛生的な面での調査にはできる限り協力するつもりだが、自分がこの数日いつ、どこで、誰と会ったかといった極めてプライバシーな情報を、たいして親しくもない人間に説明しなければならない(何をしていたかまで詳らかにする必要はないにせよ、濃厚接触者を特定し得る程度の聞き取りはされる)、という事態がまだ飲み込めない。

5月21日(土)

起床、熱なし。念のため検査を受けた。すぐに結果の出る抗原検査は陰性。とりあえずほっとしたら急に元気になった気がする。「病は気から」とはこのことか。とはいえPCR検査の結果が出るのはもう少し後なので、この日も1日家で過ごすことにする。日中は元気だったのだが、夕方頃からまた微熱が出てきたので寝る。抗原検査で陰性でもPCR陽性の場合もあると聞くし、気が抜けねえなという気持ちに。

5月22日(日)

熱なし。倦怠感もほぼなくなっていて、むかし読んだ整体師の本にあった「風邪が抜ける」という表現を思い出す。洗濯と掃除をして、開封できていなかったtofubeatsの新譜を聴く。来週は愛知で開かれる野外の音楽イベントに行く予定だが、宿の予約以外はほぼ何も準備していない。検査結果が陽性なら断念せざるを得ないので、準備する気が起こらない。

検査結果はメールで届くことになっていたので、久々にメールアプリの通知をオンにしてしばらく過ごしているとメール受信のお知らせ。結果は陰性。結果的にはただの風邪だったわけだが、日記を見返すと去年のちょうど同じ日にも体調を崩していて、あまりの一致ぶりにびっくりしてしまった。

5月24日(火)

ここ数日色々あり、人が「上に媚びる」という身振りについての解像度が上がった。単純に「権力を持った人間に合わせてへりくだる」みたいなケースもあるが、自分より下の人間を虐げることにより上への忠誠を示す、みたいなやり方がどうやらあるらしい。「私はあなたのために、これだけ下の人間を動かすことができるんですよ」というパフォーマンス。本当に勘弁してほしい。

5月28日(金)

職場の人が「あの人はねぇ、女性系の運動をしていた人だからねぇ、厄介なんですよ」と話すのを耳にする。自分は特定の社会運動や政治活動に肩入れしているわけではないが、あるカテゴリの活動に関わっていることを理由に「厄介な人」と形容することには納得いかないなと思う。自分も同じように安易なラベリングで人を見てしてしまうことがあるが、「こういう発言を臆面もなく人前で披露できてしまうこと自体」がどういう権力構造の上に成り立っているかには自覚的でありたいと思う。

5月29日(土)

愛知で開かれた野外の音楽イベントに行った。
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イベント自体もよかったのだが、銭湯を通じて知り合った年の離れた友人たちと豊橋の喫茶店や街並みを巡ったのがとくに楽しかった。たまたま通りかかった花火の卸問屋(豊橋は花火が名産らしい)で国産花火を買ったり、目星をつけたカレー屋が閉まっていて国道沿いに見つけたローカルファミレスに入ったりして、こういうのが旅の醍醐味だよなあとつくづく思った。

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ライブのほうは、藤井隆のスター性とchelmicoのラップの上手さを目の当たりにして、tofubeatsのフロアが「狂乱」といった雰囲気に満ちていてよかった。こういう「お祭り」はたまにあると嬉しいのだがそのぶん体力もごっそり使うので、今の自分にとってちょうどいい「お祭り」はどこにあるんやろうな、みたいなことを考える。「フジロックは死ぬまでに一回行きたいな〜」と数年前に呟いていたが、関西から行くには新潟はあまりに遠く、薄給労働者にとってはあまりにチケットが高額で「金が減る」という理由で遠巻きに眺めていたら今度は気力と体力の残機を天秤にかける年齢に差し掛かってしまった。「学生は金はないが時間と体力はある。社会人は〜」というベタな言説を地で行っている感がある。なんか楽しい祭りのことを書いていたはずなのに辛気臭くなってきた。やっぱりフジロックくらいはいつか行きたいね。3億円ください。非課税で。

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5月が終わりました。