とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

2026年6月2日〜27日

6月2日

ふたまわりも歳の離れた人が、日常動作からシームレスに自撮りを披露するのを見た。あまりにナチュラルで、てらいがなく、鮮やかだった。「自分をよく見せる」ということに対する照れが感じられない。

6月18日

烏丸御池付近の交差点を渡る、制服姿の修学旅行生。それを引率する、若手の男性教員。生徒のほうを振り返りながら「てかぶっちゃけ、八坂行って、お土産変えればいいっしょ、結論」という。この言語感覚で授業しているのだろうか。大丈夫なのか。

6月19日

YoutubeでTBSの報道1930を観ている。この日は「テック右派」特集。ピーター・ティール、カーティス・ヤーヴィン、イーロン・マスク……数々のテクノロジー企業を代表する人物の政治的思想の傾向。政治的な左右対立の少し違う位相に、こうした「テクノリバタリアン」と呼ばれる人たちがいる。少しずつ、政治思想のマッピングが理解できるようになってきた。2年ほど前に自分が知りたかったことはこういうことだったのだなと後追いでわかってきた。

6月21日

長野県諏訪市の古びた定食屋で昼食をとった。さびれた細い路地の奥にある肉料理の店。隣に、高級そうなスーツを身に着けた実業家ふうの男と、関係性の不明な女性が座っている。店内のテレビには国会のようすがニュースで流れており、高市早苗陣営による誹謗中傷動画について野党が追求する場面が流れていた。スーツは「まだ言ってんのかよ、こいつらほんとにいらねえよなあ」とこぼし、女は「いらな~い」と気だるそうに答えていた。注文した牛丼は、つゆの味が濃かった。

6月25日

2年ほど前に放映されていたTBSドラマ『海に眠るダイヤモンド』を観終えた。

かつて長崎県に存在した炭鉱の島「端島」(通称「軍艦島」)を舞台にした物語だ。視聴者を引き込むストーリーテリング、魅力的な俳優陣、一人ひとりの人物の描きかた、どれをとっても素晴らしかった。

これは、いづみさん(宮本信子)だけでなく玲央(神木隆之介)の回復の物語だ。端島で鉄平(神木隆之介)が担っていた外勤というケアの仕事。その痕跡が、残された日記によって現代に生きる人々に共有され、受け継がれてゆく。

人物が丁寧に描かれているドラマや映画は、視聴が終わっても登場人物たちがまだ世界のどこかにいるような感覚になる。今頃彼はどうしているだろうと、古い友人を思い出すような。

6月27日

「おおきに、お気をつけて」「よかった雨降ってないね」「そうですね、もう大丈夫そうですね」「よかったわありがとう」「ありがとうございましたお気をつけて〜」

いつも同じ時間に来るお客さんと、先週と同じ挨拶を交わし、天候により少しだけ違った世間話を交わす。差異と反復、とわかったような言葉の使い方をしてみる。適切なのかどうかはわからない。

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2026年5月3日〜30日

5月3日

50円の駄菓子を欲しがる子どもに、親が100円渡しているのを見た。

子どもは親に「(100円あるから)2つ買っていいか」と聞き、それに対して親は「一つ買ってお釣り50円もらえばいいやないか、ちょっとは頭使え」という。辛い気持ちになった。そのあとも別のやり取りで「頭使え」と言い放っていて、子どもが不憫だった。この数分で2回。いったい、一日で何度言われるのだろう。こんなふうに日頃から言われ続けて育った子どもはきっと「私は頭が悪い」と思うようになるだろう。

生活をやろう、という気持ちになってきた。災害に備えた食糧備蓄のしくみ、古紙のまとめかた、窓にカーテン代わりの布の設置、日用品の買い出し。引越直後に隣人トラブルに見舞われ、耐えきれず再引っ越しを検討していたので「どうせ引っ越すし」というモードが続いていた。ようやくという感じだ。

初対面の人にいきなり面と向かって「高市を辞めささなあかんすね」と言われ、どぎまぎして苦笑いしかできなかったのは何だったのだろうかと考えている。意見は一致しているのだが。「あんたもこっち側ですよね、違うんですか」みたいな問いをノータイムで突きつけられ、強制的に回答を求められる感じ。

5月某日

最近、ニュージーランド在住の書き手ガメ・オベール氏の文章をSubstack上で読んでいる。有料なので引用するのが憚られる。けれど引用していろいろと考えていることを書いたりしたい。今はとりあえず様子見。最近、日本において「民主主義」とかいうときに、その意味というか内実はいったい何なのかということを考えている。

substack.com

畑の人の呼びかけで、トークイベントの視聴会。テーマはよくわからなかったが、藤原辰史とナウシカという組み合わせに興味をもって参加した。

sakatamasako.com

 「土は全部死体」という話が印象的だった。森の中に残された動物の死骸を観察していると、みるみるうちにあらゆる生物がやってきて分解していく。リスが死体の脂肪を舐めにくるらしい。「食ったり食われたりしていることで、自然は安定している」という。人間だけがそこから遠ざかろうとしている、と。

5月8日

先日触れた、ガメ・オベール氏の文章で印象的な記述があった。「他人の視線」を内面化することと全体主義がつながっている、という話。人から変に思われるんじゃないか、周りがああしているから同じようにしよう……という心の動きの先に、全体主義がある。

5月9日

天気が良い。体調も良い。頭も重くないしネガティブにもならない。戦前あるいは戦時中に、市井の人々がどう生き抜いていたのか、それを知りたい。知る必要がある気がする。仕事終わりにアバンギルドで片想いのライブを観た。片想いはけっしてカッコつけておらず、優しい。

5月12日

修理に出していたスニーカーが返ってきた。圧倒的に歩きやすい。蹴り返しが違う。

5月14日

今日は調子が良い。調子には浮き沈みがあると思っておいたほうがいい。

ある業界に身を置くことは、その業界にかかわる言葉の使いかたに敏感になる、ということなのではないか。「教育」とか「出版」とかいう一般的な語にも様々なニュアンスが含まれており、発する人によって込められる意味や文脈は多様だ。ここは「業界」全体の水脈のどこに位置していて、たとえば一つ石を置くと流れがどう変化するのか、河原から眺めているのではわからないことが少しずつわかってくるようになるのだと思う。

5月30日

国会前で行われたデモの、本田由紀さんのスピーチ動画を見た。友人がリポストしていて、見ているうちに引き込まれ、見終わる頃には少し泣いていた。

自分は傷ついていたのだと思う。

国から、国の指導者から、お前の命や生活や大切な人やその人生、これまで過ごしてきた日常、これから自分が思うように気持ちよく生きてゆきたいという人としてあたりまえの望み、そうしたものには一切価値がなく、踏み躙ってよいのだと暗に示され続け、しかし表では「あなた達にのために力を尽くします」と張り付いた笑顔で述べられる。為政者が実際のところどういうつもりなのかはわからない。少なくともわたしはそう感じていた。わたしはコケにされているということに、傷ついていたし怒っていた。そういうことに気付かされるスピーチだったと思う。

これくらい怒っていいのだ。腹の立つことがあったとき、話を聞いてくれた人が自分以上に怒ってくれて気持ちが楽になることがある。私の感じた怒り、悲しみ、辛さを、まずは認めたらよいのだ。

近況

この数ヶ月ずっと慌ただしくしていた。

1月は知人が誘ってくれた仕事現場の見学に行ったり、そのあとまったく別の会社の採用試験を受け、2月にそこでの採用が決まり、3月に引越しして、その直後から隣人トラブルに悩まされ(夜中に怒鳴り声を上げる人だった)、あまりに環境が悪いので知人友人に助けを求めて避難先を探したりしていた。

結局、なぜか隣人が急に静かになったので今の家で様子を見ることにしたが、4月から新しい職場に通い始め、同時に妻が仕事のため遠方に行くので半年間の一人暮らしがスタートし、ようやくGWの連休あたりから生活が落ち着いてきた。

やっと生活をしている。

数年前から自分で屋号を掲げて、一般流通している書籍や自作の冊子を売ったりしていて、もっぱら自分の文章はその屋号に関連させて書くことが多くなった。インターネット上よりも紙に印刷して手渡せる範囲の人に読んでもらうことに意味を感じていたし、そこから広がった人間関係が今の生活を形作っている面も大いにある。

けれど、もう少し違う形で何か書きたい。そう思って数ヶ月前に、日記とは少し違う形式の文章を書く練習のつもりでSubstuckのアカウントを取得して文章を一本書いてみたが更新が途絶えている。一本目に書いた文章にあまり納得いっていないことや、どこかこうカッコつけようとしている部分があるというか、アカウントとしての統一性とかどう見せるかみたいなことを考えて身動きが取れなくなってしまっていた。

今朝、10年前くらいに親しくしていた人たちが未だにブログを更新しているのを見つけて、なんだかいいなと思った。淡々とテキストを落としている感じ。ドメイン取得してサーバーを借りて個人サイトをつくることもやってみたい気持ちはあるが、具体的なイメージや実現のための工程が見えていないので手が出しにくい。

それで、数ヶ月間更新せず、告知しかろくにしていなかったこのブログにならこういう文章を書いて落としてもいいような気がして書いてみている。先に書いた昔の友人のブログに「ブログはブログとして読まれる。ブログの中に日記があればその記事は日記だなと思って読まれるし、告知があれば告知だなと読まれる」といった意味のことが書かれていて、一旦そういう書き残し方をしてやっと動き出せるような気がする。

写真を一枚は入れて……とかタイトルには日付を入れて……とか一応のルールを設けていましたが、ちょっと無視してみようと思います。

あまり気負わず書いてみて、また別の場所で書くかもしれないし、ここでまた書き始めるかもしれない。