とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

4月10日(水)〜11日(木)

4月10日(水)

昼、漢方内科。診察終わりにヨドバシで文具を買ってトイレに入ると洗面所の鏡の位置にデカデカと電子公告が掲げられており、人が前に立つと鏡になる仕様になっていて、広告がこんなところにまで入り込んでくるなんて世も末やな、と思ったが銭湯にも鏡広告があり、けれどまったくこれらは異質のもので、ヨドバシのこれはおぞましいタイプの鏡広告だ。よく晴れていて、お弁当を本願寺前の広場で広げて食べる。この日も見かけたが自転車を両手離して漕ぐ輩は例外なく全員が男で、必ずドヤ顔をしている。この日のあいつはマクドの袋を抱えて食っていた。人を轢いてしまう前に自損事故を起こして学んでほしい本当に、と文字にするとあまりにも呪詛の力が強く働きそうだが内心いつもそう思っている。

食べ終わり帰路につくがやっぱり京都駅前から自宅までのノンストップ北上自転車はきついものがある。行きはスピードが出るので案外気持ちいいが、帰りは微妙に登っていて、大通りの車の音に耐えられなくなり路地に入ることにした。次からは絶対に五条通りで東に向かってそこからは鴨川を北上すること。途中喫茶店でも図書館でも銭湯でも河原でもとにかくいちど休憩を挟むこと。いっきに帰ろうとしないこと。帰ったら疲れ果ててなんだかイライラしている。夜、不安感が強い。

4月11日(木)

朝、早めに目が覚めて、といっても6:30、ここ数日にしては遅いほうで体を起こして顔を洗ったりして机に向かい日記を更新するとぼんやり眠い。妻との何気ないやり取りの相手の反応、物音とかに敏感になっていてあーこれは調子良くないかもしれないと思っていたら動作も緩慢で頭の靄が増殖していて、そうえば昨日の昼過ぎ、漢方内科からの自転車大移動を終えたあたりからあきらかに疲れていて少しイライラしていて、ふつうならそんな大事でないはずのことが不安になり、予兆はあった気がする。

今日は友人と外に出かけるつもりだったが電話して延期してもらうことにした。申し訳ない。と思いながらこのコンディションで行くほうがあきらかに台無しにしてしまうので仕方ない、よく考えたらここ数日早く目が覚めるわりに睡眠時間は8時間を切っていてほんとうはもう少し寝たい。ぐっすり眠っていたのであまり気づいてなかったが活動量の増加に対して睡眠量が追いついていなかった、寝るのだ、と布団に潜り込みYouTubeに瞑想案内してもらって気づいたら3時間寝ていた。

きのう隙間時間に大垣書店に寄ってドクタースランプ文庫版の1巻と4巻を探したがそもそも取扱がなく、検索したらどの通販サイトも在庫切れ、特に4巻はどこにもなくてメルカリで調べたら「全巻セット」と謳いながら4巻抜けみたいなのはザラにあって、4巻だけプレミア化しているらしく、理由がよくわからない。という話を妻にするとYahoo知恵袋に関連する投稿があり、不適切表現が含まれるため4巻だけ重版されていない説が見つかりそれはさすがに都市伝説では……?と思ったが知る術がない。

夜もとにかく調子が悪く、眠る。

4月9日(火)

しとしとと雨。プランターに植えたスナップエンドウを間引きしたものを水を入れた瓶に挿していたら思いがけずどんどん伸びる。いつもどおりの時間に目覚めたがなんだかだるくてあまり書く気が起こらないので休憩、もういちど寝る。
午後、本を読むぞと気合いを入れて図書館に向かう途中、ビルの看板に「英才児童専門学習会」とある。英才児童。「我が子は英才だわ~」もしくは「我が子を英才にしたいわ~」という親をターゲットにしているのだろうが、ここに通う児童は「おれは英才だ」と思って育つのだろうか。
図書館に着くが落ち着かない。自習室というのがあってここは読書も勉強も仕事もしててOK、という場所なのだが隣の人と席が近くて個別指導塾みたいな雰囲気が漂っていたので出て、図書館の閲覧スペースに行くも、「資料閲覧のためのコーナーです」と釘を刺されているので律儀に適当な資料を机に置いて「資料を閲覧していますよ」というポーズを取ったりするのだがそれも居心地が悪く、目に入る注意書きも飲食・電話禁止と行動を牽制する文言が並んでいて、ああぜったいこれは読んだり書くことに影響する、いかん、と思い結局外に出た。部屋、とりあえず部屋で読むのがいいんじゃないか、何のためにノイズを除去して読んだり書いたりすることに集中できる環境を作っているのだ、使わずしてどうする、と住宅街を少し遠回りして帰っていたら、路地ですれ違った60代ぐらいのご婦人に「このあいだはありがとうございました」とすれちがいざまに挨拶され、私はそのような人に見覚えがなく、あっけにとられて、ああ、はあ……と気のない音を出すことしかできなかった。このあいだ、このあいだ、このあいだ……と唱えながら住宅街を縫っていくがやっぱり心当たりはない。誰かと間違えたのか。いや、このへんの住宅街に住むご婦人が私くらいの年代の男性とどういう接点を持つのだろう。

4月7日(月)〜8日(火)

4月7日(火)

午前、作業。これからやろうとしていることについて、先日妻からもらった助言をもとに微修正していく。少し形にしてみて、ちょっと違うなというところを直し、あきらかに違うというルートを避け、ここぞ、というところで踏ん張る、という作業。
昼、近所の河原で花見。高齢カップルが肩を組みながら、派手めのご婦人のほうがワン、ツースリーエンフォーワン、ツースリーエンフォー、とステップを教えながら歩いてゆく。ご婦人の後頭部には蝶々型の大きな髪留め。飼い主よりも大きいとみえる犬を連れている人、仲良く手を繋ぎながらトイレのほうに千鳥足でゆくおじさん3人組、手には口を縛ったビニール袋。みんな春が来て浮かれている。ようやく人間が動く季節になってきた。

4月8日(月)

午前。進めようとしていた作業、なんとなくやる気出ず。のためソファーに寝転びながらたまっていたレシートを処理したり、口座関係の整理、メルカリ出品祭などやれることをした。午後、さあ行くぞと意気込んで本を3冊リュックに入れて近所のカフェに向かうも定休日、そうだおれにはロイホがあるじゃあないかと扉を開けると制服を着た小学生とアフタヌーンティーマダムたちで満席、すごすごと家に帰り、図書館に行こうと珈琲豆をゴリゴリしているところで花辺があると気づいてゴリゴリした珈琲を放置して飛び出す。
花辺は大きな窓が開かれていて庭の桜が満開、別のお客2人が昨日の坂本龍一のドキュメンタリーの話をしている。まだ観てない。とりあえず珈琲を頼んで『量子の社会哲学』を読み進める。圧倒的におもしろい。が、ところどころ理解の及ばないところがあり、いま読書会をするならこの本だなと思う。けれどそのタイミングで同じ本に熱量のある人がいるとは限らず、やっぱりそういう遊びを続けるには工夫がいる。
入れ替わりでイ・ラン『話し足りなかった日』を読むとストイックにガンガン仕事をしていく著者の姿が見えてきて、自分がこうしていられるのも仕事を休む猶予を与えられえているからで……みたいなことが久しぶりに浮かんだがそれ以上考えないことにした。これは必要な時間。結局キャロットケーキも注文して2時間ほど滞在したが、長居したしもうちょっと注文したらよかったかなとか、けどもうお茶もお菓子も十分いただいたんだよなとか、そういう点でやっぱりfuzukueのコンセプトや料金体系はよく練られているなと思う。
出て、一日5,000歩を目標にしているので少し遠回りして図書館に移動して読書のつづきをして帰宅。夜、妻と話していて最近甘いものをむやみに食べなくなったという話をする。あんなに毎日ドラッグストアでチョコとか菓子パンとか買ってたのに。「自分からズレたことしてるときに欲しくなるよね」、そのとおりだ。

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