とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

5月10日(金)〜11日(土)

5月10日(金)

起床、ストレッチ、朝食、洗濯、ラジオ体操、ヨガ、のち、植物園を散歩。何日目。何日目かわからないけれど近所の植物園を散歩するのを継続している。知らない鳥の声がしたり日光が水面に反射したり木が揺れて風がわさわさいっているのを聞いたりしていると自分より大きなものの存在を感じて安心する。

午前、市立図書館に出向いて橋爪大三郎大澤真幸他著『社会学講義』を借りる。その流れで近所の珈琲屋で豆を買い、古本屋でちょうど探していた本があったので購入、してからいちど帰宅。

先日、住んでいるマンションの目の前の空き地がどうも以前畑の跡地らしく、ここで畑ができたらいいねと妻と話し、いつも行く喫茶店の女将さんに相談したところ土地の持ち主の電話番号を教えてもらい、あまりにトントン拍子に話が進み浮かれていた。しかしこの日電話をかけたところ「畑は貸しませんっ」とそっけなく断られてしまった。とりつく島もないというか、向こうからすればメリットは一切無い、ということなのだろう。

社会学講義』を読み始めた流れで他の入門書も読むべしと最寄りの図書館に行き、リストに入れていた書籍を検索して進めた。千葉雅也『勉強の哲学』を読んで、文中に書かれていたワークも真面目にやってみて、なかなかうまいことテーマがまとまったわけではないが、「入門」すべきはおそらく社会学、人類学、哲学あたりになるのだろう。手始めにと手に取った『社会学講義』にはいろいろなところで耳にした学者の名前が何人も登場する。ジンメル、デュルケム、ウェーバー。中には自分の卒論に引用した学者もおり、けれどそれが学問上どういう立ち位置にいた人なのかはまったく知らず、やはり自分は大学は出たけれどひとつの学問を体系的に修めるという体験はほぼ通ってこなかったということを痛感する。

平行して見田宗介社会学入門-人間と社会の未来』も読み進める。序文がとてもよかった。

「どういう生き方をしたらいいのか」「ほんとうに楽しく、充実した生をおくるには、どうしたらいいのか」という問題を解決するのに、五十年もかけてしまったら何にもならないではないか、と、思う人は多いと思います。けれども、ほんとうに自分にとって大切な問題を、まっすぐに追求しつづけるということは、それ自体が、どこまでもわくわくとする、充実した年月なのです。ひとりの人間にとって大切な問題は、必ず他の多くの人間にとって、大切な問題とつながっています。「生きた」問題、アクチュアルな問題を追及して行けば、必ずその生きた問題、アクチュアルな問題に共感してくれる先生たち、友人たち、若い学生たちに恵まれて、そこに〈自由な共同体〉の、輪が広がります。
(p.12「序 越境する知」)

序文以外はあまり学問としての入門書という感じではなかったが、見田宗介の別名義での著『気流の鳴る音』と共通するような箇所もあり、こういう方向性のものを読んでいきたいなと漠然と考える。

5月11日(土)

午前、読書。のち、午後に農業塾2回目の参加。

バス停に着くやいなやあまりに暑く、地下鉄出口の日陰で涼んでいると近くに居た高齢の女性から「お兄ちゃんもっとこっち来いな、暑いやろ」と言われる。自分の身体はすっぽりと陰に入っていたしそれ以上女性に近づく必要もなかったのでそうですね、といった気のない返事をしてやり過ごした。以前、植物園で山野草の展示を見ていたときに案内してくれた高齢女性から「メンバーは高齢者ばかりだから、若い男の子が興味持ってくれたら嬉しいね」といったニュアンスの言葉をかけられたことを思い出した。「おばちゃんとのよくあるフランクな会話」と言えばそうなのであまり気にしないようにしているが、「若い男」としてラベリングされているな、と感じて居心地が悪くなるときがある。

水筒は持ってきたがあまりに暑く、早くも夏の脱水症状の兆候「ふくらはぎがつる」が発動しそうな予兆を検知したのでコンビニに入ってポカリを買う。畑に到着すると前回欠席だったのでずいぶん様変わりしていて、ビニールマルチ(というらしい、黒い、土を覆うやつ)が張られ、いくつかの作物は葉っぱが出ている。この日は前回終わらなかったビニールマルチを張る作業、支柱立て、ネット張り、苗の植え付けなどをおこなった。

暑い。が、ダイレクトに、身体を動かして、この腕の動きがもたらしている作業が数ヶ月後に野菜という形になり自分の栄養となる、と想像するとずいぶん気分がよかった。こういう実感を得られる時間が生活のなかにある、そういう状態をなるべく続けていきたい。作業を終えて疲れた身体で帰宅し、よく眠ることができた。

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