6月1日(土)
初めてデモに行った。イスラエルによるパレスチナへのジェノサイド停止を求めるデモだ。この日のことを書こうとして、下書きを保存し修正しては保存し修正しては保存しを繰り返していたら数週間が過ぎてしまった。その日の夜に手元に書きつけたメモをもとにキーボードを叩き、行きつ戻りつして書き進めていくのだが、どう着地していいかわからない。と、書いて、どう着地していいかわからない、と書けばいいのかといま思い至った。
私はこの問題について停戦とパレスチナ解放を求める立場だが、今の時点ではデモへの参加を積極的に呼びかけるような文章を書きたいわけではなく、そのことを自分で受け入れられずにいたのではないか。「何か書くなら啓発につながるような文章を書くべきでは」「デモへの参加を積極的に呼びかけていないことを批判されるのでは」という、誰に言われたわけでもない脳内の声を感じながら書き進めた結果、それっぽいまとめ方をして一旦は書き終えたが、どこかひっかかるものがあった。もう少し時間をかけて別の形で公開するようにしたい。
6月2日(日)
自宅の予算会議のあと、大原へ外出。昼食に入った店がやたら高額だった。お店に入った瞬間の雰囲気はよいのだが。あまりお店のサービスに対して文句を言うほうではないのだが、料理が運ばれてくるのにずいぶん待った。店員が電話で「駐車場はありません、何々というバス停がありますんで、その近くの駐車場に停めてください」という説明を何回もしていた。里の駅で野菜を買って帰る。夜、Tさんの呼び出しを受けて銭湯へ。
6月3日(月)
昼間も寝ていた。
6月4日(火)
PC作業。わりとはかどった。
6月5日(水)
銭湯掃除のお手伝い。Y氏がペットボトルのコーヒーを差し入れてくれた。「やろうと思ってできてなかったことがやれるんで助かります」と言ってもらえて嬉しい。昼、キャセロールでオムライスを食べると歯に染みる。固形物が染みるのはいよいよ末期なのではないか。はんのきで数冊を購入、余波舎に行って瀧口夕美・黒川創『生きる場所をつくる』購入。しばらく話し込む。そのあと、妻の昔の住所に間違って届いてしまった荷物を回収すべくヤマトの北営業所にゆき、むりやり背負って帰る。夜、週末に出店する一箱古本市の準備を進める。
6月6日(木)
朝からSNS投稿を見て気分が落ち込む。坂口恭平のX配信「自己否定をやめるための100日間」を聞いて少し気持ちが楽になり、流しながら妻の絵の具セットを勝手に借りて絵を描いた。妻が帰宅後、勝手に部屋に入ったことを怒られた。
6月7日(金)
午前休み。寝ていた。午後、眼科系の手術のため入院している祖母のお見舞いへ。受付で指定された階に行くとちょうど叔母が来ていたので3人で話した。祖母は細かった。眼帯をしていて弱々しく、どう声をかけていいかわからなかったが『光る君へ』の脚本に悪態をついていて安心した。
祖母が「私家版ってどんなんするの」と聞いてくれたのでひととおり説明する。『大阪の生活史』に掲載された祖母のインタビューをノーカットで掲載した冊子を親族向けに作りたいと思い、昔の写真の提供を祖母にお願いしていた。体調面で無理をさせてしまってはいないかと心配していたが、気にしてくれているようだ。前向きに受け止めてくれている様子だけれど、それでも無理はしてほしくない。
帰り、商店街をぶらつき天牛書店に寄る。いい本が安く売っている。
6月8日(土)
九時五時の日。ロイホでPC作業。午後、農業塾。アホほど野菜が収穫できて楽しかった。ばさ、ばさ、と大量に増えていくキャベツの山を見ていると愉快だ。子どもはみんな収穫をやりたがる。夜、コンビニで印刷、パッキング、のちに鴨川湯でSさんLさんと合流。先日やろうとしてやめたこと、今後やりたいと思っていることについてSさんと話す。根をつめて息巻いて何かするのが必要なタイミングもあるだろうが、ふつうの会話を重ねる中でものごとが動いてゆくことも大事にしたいと思う。湯上がり、Lさんの写真の個展のフライヤーを受け取る。「写真を人に見せるのも初めてで」と言いながら手渡されたポストカードはとても素敵なデザインだった。