とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

4月2日(火)〜3日(水)

42日(火)

疲れが残っている。外が晴れていて、ヨガでもすると調子が上向くのではと思ったがひととおりの動きを終えたあとヨガマットのうえで頭がだるく、結局二度寝することにする。YouTubeのインストラクターは「今日も一日、いい日にしていきましょう」と穏やかさと快活さの同居した笑みでこちらに語りかけているが、べつにヨガをした直後に布団にダイブしてもよいのだ。寝て、起きて、すこし頭がすっきりした気がしてまた寝て、を繰り返して少しずつ上向いていくような実感がある。

午後、延滞している本を返しに図書館に行くと1階の展示室で何やらやっているようで覗くと「西山夘三と昭和のすまい・まちづくり展」とある。誰。と思いながら無料だしなと中に入ってみるとすごかった。「西山夘三は、大坂に生まれ、京都で学び、生涯を通じて昭和の日本の住まいとまちづくりに取り組み続けた建築家・在宅学者です。公共建築物や大邸宅の設計を中心とする建築学が主流であった時代に、一般庶民の住まいに着目し、その改善、あるべき姿を科学的に解明し、新しい住宅計画学を切り開いた先駆者でした」とある。展示室には、戦中~戦後から現代にかけての住宅の変遷を追った記録写真は、氏が残した各時代の住居に関するスケッチが展示されており、特にこのスケッチに見応えがあった。

43日(水)

少しずつペースを取り戻しつつある。ポメラで日記を書いているとメニュー機能に類語辞典や国語辞典があることに気づいて大喜びした。文章を書いている途中にさっと切り替えて似た意味の語句や語句そのものの意味を調べられるのが良い。いちいちブラウザに切り替えて、google検索して、見たくもない広告が目に入るよりもよっぽどいいし、紙の辞書を買おうと思っていたがこっちのほうがすみやかに動作できてよい。

何はともあれ回復、リカバリーであるとばかりに数年前に買って実家に眠っていた若林理砂『絶対に死ぬ私たちがこれだけは知っておきたい健康の話』を開く。基本的には「寝る・食う・動く」の基本を徹底してやりなさい、という話で、ここだけ聞くとそんなあたりまえのことかいな、と思うが「そんなあたりまえのこと」ができず崩れていくこと自体が調子が悪くなる原因なのだ、ということを平易な文章で教えてくれたうえで「あたりまえのこと」を少しでもできるようになるための具体的な方法が端的に示される。

自分はとりあえず理想は22時、どんなに遅くとも24時には寝て、朝ラジオ体操をし、野菜多めに食べて、夕方散歩に出て、寝る前に湯たんぽで足の裏のツボを温灸することにした。温灸はともかく他の行動はどれもどれも変わったことではなく、これを続けることで身体がどうなっていくのか、様子をみたいと思う。

ちなみにラジオ体操のあとはヨガをしている。ラジオ体操というと「一定水準の運動機能を全国民に獲得させるための方法」という印象があり、だからこそ「適度な運動」の条件を満たしているとも言えるのだが、今はあんまりそこに焦点を当てすぎると自分の身体が規格化されすぎるような気がするので、わざわざいちど型に嵌めて、そのあとゆるめている。

4月1日(月)

妻の実家で起床。ビリングでは伊藤沙莉主演の朝ドラが始まったばかりで、日本国憲法の一部がフォーカスされており少し気になる。ドラマは15分で終わってそうだ朝ドラって15分だったということを思い出す。妻の実家は庭があり、花梨、椿、ミモザ、それから枇杷、名前の覚えきれないきれいな花がたくさん植わっていて、朝日に照らされて緑が心地よく、飼い猫が外に出たがるのもわかる気がする。東側には畑があり、なんだったっか、いろいろな野菜を育てているそうで、主にお義母さんが管理していて、花壇の手入れをしながら「これね、食べられる野草」というので名前を聞くとハコベ

昔に比べれば、ここ数年で植物に随分関心を持つようになった。実家にいた頃、母がガレージ裏の、庭とも呼べない小さな小さな土のスペースに木を植えて、その生長について弟と嬉しそうに話していたが私はその植物の名前もその変化にも気づいていなかった。そういう時期もあった。いまは家に緑があるのがたいへん心地よく、一人暮らしの部屋からうちに連れてきたパキラは日当たりが良くなった影響なのがずんずん大きくなり、春が近づくにつれ新芽が出てくるのが嬉しい。けれどこれを書いているとき、外泊から戻ると葉や茎の色がおかしかったので調べると何かしらの病気にかかっているかもしれず、泣く泣く葉を剪定し、まるはだかになってしまった枝を見て悲しく、変化に気づけなかったことを悔やんだ。

午前中、西荻窪へ移動し目的の店に向かう途中、雰囲気のいいリサイクルショップを見つけ、時間が限られているのでさらっと見るつもりが、とても感じのいい小さな本棚を見つけ、悩んだが昼食を食べながら考えることにした。立ち寄ったカレー店サジロクローブもとてもいいお店で、店内の壁が通り側と店の奥側で塗り分けられており、通り側は日光であかるく、奥は暖色系の照明でほんのり照らされ、洞窟の中で食事をしているような体験で、置いてある家具、雑貨なども使い込まれた痕跡が感じられ、カレー、とくにターメリックライスの香りがとんでもなく豊かで、こんなターメリックライスは食べたことがないと思いながら頭の中にあの本棚が売れてしまったらどうしようという情念がわき、お会計をすませてそそくさとリサイクルショップに戻り棚を買った。妻もそのとき良い感じの照明器具を見つけて買い、リビングに設置することにし、我々は買い物が上手だ。

不安定で、京都の街で見かけたら「危ないなあ」と迷惑な視線を送るLOOPに、我々も出先ではゆうゆうと乗る。たどりついた本屋Titleは店先のガラス棚にコロコロコミックが置いてあり、町の本屋、という風情が出ていて嬉しい。子どもの頃、本屋に行く理由はコロコロコミックを買ってもらうことだった。中に入ると一般的な書店に置いてあるような雑誌、趣味の本なども並ぶ一方で、噂に聞いていたとおりリトルプレスもたくさん取り扱っていた。釣り関連の雑誌が並ぶ棚からずーっと横に移動していくとこれは、と思う本があり手に取るとおそらくこれは先日知り合ったTさんが読んでいた本ではなかったか。ちがうか。神谷美恵子『生きがいについて』。目次や冒頭箇所を一読して買うと決め、絵本コーナーには先日実家に帰ったときに見つけたバージニア・リー・バートン『せいめいのれきし』。これは子どもの頃に本当に穏やかな気持ちで眺めていた絵本で、自分のものだと思っていたら母親のものだったらしい。母のものと違い改訂版はカバーなどがないが、手元に一冊置いておきたくあわせて購入する。

高円寺へ移動して蟹ブックスに入ると比較的棚がポップな印象で、奥の壁ではデイリーポータルZの展示。店内のいたるところに蟹のオブジェ、奥のほうには蟹の本だけを集めた小さな棚。この東京書店めぐりにおける軍資金は先日の家フリマおよび直近のメルカリ売上金を全てつぎ込むと決めており、予算額とにらめっこしながらジョージ・L・モッセ『男のイメージ 男らしさの創造と現代社会』、香山哲香山哲のプロジェクト発酵記』、蟹の親子『脳のお休み』を手に取り、蟹の親子さんは買いそびれていて、いつ買おうかと思っていたが蟹ブックスで買わずしてどこで買うのだと思いレジに行くとレジ横の小さな篭の中にインコがいてこのとき初めて気がついた。駅の反対側に商店街を抜けて、はじめての小杉湯に入って高円寺を去る。

いつも遠出をすると帰りの新幹線の時間がギリギリ、乗り換えコインロッカー荷物取り出しRTA状態になる我々にしては今回は余裕のある帰宅だった。自由席なので時間に融通がきくということもあったが、何より行き先を欲張らず絞っておいたのがよかった。帰りの電車で妻が「カネコアヤノちゃんが何年か前、今年買って良かったものにノイズキャンセリングイヤホンを挙げていて、自分も人から借りて使ってみたが一気に静寂になった」というので早々に購入したほうがよいと決意する。己の身体に入ってくるノイズをできるかぎり減らしていく必要がある時期だし、そのためにできる投資はしておいたほうがよい。

f:id:r_ps22:20240408072736j:image

3月31日(日)

妻の実家にて起床。朝ごはんをいただき、妻が親戚を車で迎えに行くまでの間、レンジラックの組み立てやミモザの刈り取りなどのタスクを与えてもらい、それらをこなす。結婚した相手の家族とはいえまだ会った回数は数えるほどで、そういうときに何もすることがないと手持ち無沙汰になってしまうのでありがたい。し、実際に役に立っていたようでよかった。レンジラックは説明書どおりに早々に組み立て終わり、庭に鎮座する大きなミモザの木の下に脚立を置き、地面が微妙にでこぼこしているのでなんとか安定する箇所を探して、剪定ばさみを伸ばして切ってゆく。お義母さんがミモザをリースにするらしく、「綺麗なのをね」と言われたがどのあたりを採用するか少し迷う。けれどじっと見て切っていくうちに特に綺麗なところと、なんとなく元気がなさそうなところが分かる気がしてきて、はしごの一段目、二段目、三段目と少しずつ高さを上げて上のほうまで切ってゆくその日差し、緑を触っている手触り、鋏で枝を切るときに伝わる硬さ、どれもが気持ちよく、ミモザが段ボールいっぱいになったところで親戚一同が集まった。
10人近くで食卓を囲むわけだが、中心になるのはやはり乳児だ。まだ生まれて1年経っていない人がその場にいる、というだけでみんなでそちらを見守り、微笑みかけ、彼女が声を上げれば一緒に声を上げ、どや、という顔でつかまり立ちを披露されれば囲んで拍手でたたえる。つかまり立ちした身体を支える手は高さ30センチくらいの台に置かれ、ときおりバンバンバンと叩くのでこちらも真似してバンバンバンと叩く。
夕方、バスで出かけて妻の昔の友人宅をたずねたあと銭湯に行き、ジャンクなものが食べたいねと探し当てたラーメン屋は徒歩20分、あるいはバスに乗ってから徒歩10分、歩いてもいいけど今日はタクシー使っちゃってもいいかもねとGOアプリで呼びつけて降りる頃にはメーターは700円を示していて、よしよしこんなもんよねと思っていたら請求額は1,000円を越えていて、迎車料金やアプリ利用手数料などが上乗せされていて、思えば過去にアプリでタクシーを呼んだのはそういうサービスが始まった頃でクーポンが発行されていてかなりお得で、2人ともそんなことは記憶の彼方に消え去ってしまっていたので思いがけず貴族の移動となった。ラーメンは美味かったので早くタクシーのことなど忘れたいが、忘れてしまったらまた同じことを繰り返すような気がする。夜、きのうfuzukueに行って思いついたことなどをばーっとメモして寝る。

f:id:r_ps22:20240407112957j:image