とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

4月22日(月)〜23日(火)

4月22日(月)

日記お休み。

4月23日(火)

休みの日だ。といってもいま務めているところは休職中なのでそういう意味ではずっと休みなのだが、最近は少しずつ頭や身体を動かしていく時間を定期的につくるようにしており、先々週だか先週ころに張り切りすぎて一気にまた調子が悪くなったので、あまり詰め込みすぎないようにして、休みの日をつくることにした。昨日は朝から日記を書き、午後は先日読んだ本についての文章を書き、ずいぶん集中した。夜は夜でいろいろなアイデアが頭をめぐり頭がそれこそ休む暇がなかったのだろう、今日は一日頭がぼんやりとしている。

今日も朝6時頃に目が覚めてしまい、思いついたようにパソコンに向かって作業を少し始めてみたがやはり眠く寝て、少し遅い朝食を食べたあと「休むぞ」と意気込んでも意気込んでいるからうまく休むことができない。こういうときは弛緩、弛緩だと風呂にお湯をはって、目を使わないようにラジオにして、ラジオもここ数週間聞いていなかった芸人のポッドキャストにして1時間くらい浸かり、ヨガをしっかりと30分くらいやるとだいぶ身体が弛緩した。弛緩すると眠さに気がつき、少し眠り、昼食を食べて少しまた眠ると頭が冴えたような気がし、何かできるのではないか、という気になり雨も止んでいるので夕食の材料の買い出しに出かけるが出かけた時点で疲れているとわかる。頭が重く、呼吸が浅い。

映画でも見ればいいのでは、と思っていたが今日はやめておき、帰ってカーテンを閉めて眠ることにして、こういう時は一瞬「昼過ぎに寝ると夜寝れなくなるのでは」とよぎるが今日は妙な確信がある。今寝ても夜眠れる。1時間半ほど寝て少しすっきりして、こういう体調のときのことは今でないと書けんな、と書き始めたところ。弛緩、弛緩、とにかく弛緩。

4月21日(日)

午前、本棚3号機の木材ヤスリかけ。の途中に小雨が降ってきたので中止。疲れる一歩手前で休むくらいでなくては。

昼食のあと最寄りの停留所からバスに乗り込む、と路線図の下のほうに「営業係数」という言葉とグラフのようなものが書いてあり、要は京都市バスの全路線のうち採算が取れているのがどれで、取れていないのがどれかを示すものらしく、女の子のキャラクターが絵文字の「><」みたいな顔をしている。そうかそうか、この路線は採算が取れていないからもっと乗ろう、みたいなことになるのか、なるはずがなく、舐めとるんかと思う。辛いよう、と目で訴えかけて動かない赤子か。

降りて、しとしと雨のふる商店街は人通りがあまりなく、抜けて山居の前に立つと店がやっている。いつも前を通るときはやっている雰囲気がないことが多く、中に入り席につくと「今日は八上書林さんという古本の出張販売もしてまして・・・・・・」と説明してもらったのでそのために来ました、と答える。そのために来た、それがなかったら来なかったという意味を含むな、と頭によぎるが事実なのだから良い。そのために来た。おもいのほか棚にはたくさんの本が並んでおり、いくつか気になるものを手に取ってぱらぱらとページをめくったりする。わりとポップな、最近出版されたものもあれば渋めの、どう渋いのかうまく説明できないけれどなんか渋い、内容や、装丁や、本の佇まいから感じられる威厳、でなくて貫禄みたいなものがにじみ出ているものもいくつかあり、濃いめの珈琲と羊羹をいただく。

長田弘『一日の終わりの詩集』がとても良く、購入する。詩。荒川洋治『文学は実学である』は散文だがもともとは詩人らしく、違ったっけ、と思い本を手に取ると「現代詩作家」とありやはり詩人で、何年か前に詩の表現というものに興味を持ったものの手がかりがつかめず頓挫したのだが、これは、と思った詩人の著作を読み辿っていくといいのかもしれない。ショウペンハウエル『読書について 他二篇』も購入して、これは「読書は他人にものを考えてもらうことで、多読してもしゃあない」みたいなことを言っていて、人生のうちで読める本の数など体力的にも時間的にも限界があり、でも読みたい、ではどうする、みたいなことがよぎるタイミングだったのでちょうど良く、手元に置くことにする。山居はきのうは出張販売と関係なく混み合っていたようで、今日は雨のせいか店はゆったりとして空いていて、店主の方に「ゆっくり見ていただけてよかったです」と言ってもらい、私もそう思いますという気持ちでありがとうございますと言った。

門前湯に行って休憩したあと、ほかにも寄りたい気もする場所もあったが今日はこれ以上情報をインプットしてもたぶん入ってこないしインプット過多なのですこし帰って落ち着く必要がある、と帰りのバスに乗り込んで帰り、最近読んだ本のメモをつくり、帰ってきた妻と3月の「予算会議」と呼んでいる家計管理の打ち合わせをし、大河を見て寝た。

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4月20日(土)

なんとなく頭が重くて不安な感じがしてこれは抑うつ的な症状と言われればそうだし、朝から朝食も食べる前にはりきって身体を動かし過ぎた疲れとも言えるだろうし、昨日夕方図書館に籠もって気になっていた本をかたっぱしから借りてさらっと読んで買う本、今はいいやという本、みたいな選定作業をずっとしていたことの疲れもあるだろうし、おそらくその全部が絡み合っていて、とにかく頭がぼうっとするので今日はあんまり無理しないほうが良い。

対策、ということになると整体師的には深い呼吸を意識してリラックスせよ、心療内科医YouTuber的には心は脳だから脳を休めろ、あとなんだ、坂口恭平的にはインプットをする気が起こらないのはうんこが出てないのと一緒だからうんこしろ、つまりアウトプットせよ、手から先運動がいい、みたいなみんな好き勝手なことを言うのだがとにかく布団をしいて横になることにして、あとは妻に風呂に入ったらとも言われたがさっき食べたナカザワのカレーがまだ胃に残っているのでとりあえず横になって、そうだ坂口恭平は心は心臓、心がしんどいときは心臓が疲れているから横になって心臓を休めてあげるといいよと言っていた。

心は脳、心は心臓、このへんをどう捉えるかでけっこう人間観が変わってくる気がするがとにかくどちらでもいい、いやよくはないか。このあいだおんなじような既往歴のある友人に毎日文章書いていると伝えるとめっちゃ頭脳労働やん、と驚かれて、でも好きやからいいんか、と納得されたけれど心は脳派からすると適してないことをしているわけで、どうすればいいのかもはやよくわからず、しかし布団にうつ伏せになって枕に顎を置いて両手を前に出してキーボードをパチパチやるのはわりあい悪くない、という気がする。

パチパチやったりスマホで人の書いた文章を読んでいて思い出した、朝ごはん食べたあとに矯正歯科の話を妻として、それでだいぶ疲れてしまったというかもうなんか一切考えたくないみたいな気持ちになって、それをたぶん引きずっている。矯正歯科から昨日電話がきていて出ず、2週間くらい前もそのまた2週間くらい前も出ず、ずっと居留守を使い続けていて、それは矯正歯科が保険適用でなく毎回の診療代が高いということと、それ以上に通い始めた数年前とは自分の健康とか身体にたいする考え方というか問題意識の持ち方、どのへんをどうなんとかしたいのか、というのが変わってきている感じがあり、だからもはや矯正歯科にいま高い金をかけて通う理由を見失っている、というのがありずっと居留守を使い続けているのだ。

窓口の担当者は心折れずによく電話してきてくれると思う、妻と話していて期間を決めて通って、通うなら矯正歯科で指導されていることもきっちりやって、今はサボっているのでそれをちゃんとやって、効果が出たか確かめてから通うのをやめるか判断すればいいのではという話にもなったが、そもそもおれはここに通ってどうなりたいんだっけ、というのを見失っている。

もともとは歯ぎしりが強くて身体の特に背骨がゆがんでいてそういうのをトータルで顎関節関係のバランスを見てくれるというのを期待して通い始めてスプリントという、いわゆるマウスピースみたいな、マウスピースとは厳密には違うけどまあ似たような器具をまあまあ高い金を払って作ってもらい毎日着けて寝ているのだが、結局これを使い続けるにはメンテナンスで年何回か通う必要があり、もうどうしようかな、書くのもめんどくさくなってきた、とにかくめんどくさい。