とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

5月25日(土)

千葉雅也『センスの哲学』が面白い。いくつか本文中の言葉を引用して書き進めようとしたけれど難しい。センスはリズム。リズムは配置。配置は反復と差異。みたいなこと。

細かい刻みで予測の当たり外れに一喜一憂するのではなく、パターンとして捉え、外れが起こることもパターンの一種として捉えている、というスタンス。これ、退いた視点から世界を眺めているというイメージが湧いてきませんか。(p.148)

タラウマラの土井さんが「せっかく何かを書くなら外付けにしないと面白くない」というようなことを言っていたのと通ずるような気がする、ということをメモしている。

この日は「九時五時の日」である。妻が「家で一人になれる時間がほしい」というので九時五時で家から退散することにした。九時に家を出てロイヤルホストでドリンクバーだけを注文して、パソコンを開いて作業を進める。途中、大企業の役員ふうの、スーツを着て胸にSDGsみたいなピンバッヂをつけた高齢男性がそろそろと席について、私と同じようにドリンクバーだけを注文してものの20分くらいで退店した。

電車で2駅、降りて歩いて洋食屋で腹ごなし、ブックオフを徘徊する。この日も今月の書籍予算はもう超えていますからね、視察だけ、視察視察、と思っていたらちょうど買う予定リストに入っていたティム・インゴルド『ラインズ』『メイキング』の2冊を見つけ、その場でスマホを開いてAmazonで中古の最低価格と比べる、愚かだ。一円でも安く買いたいという己の卑しさがスマホの画面に反射しているようで、遅かれ早かれ買うのだ、ままよ、とレジに向かった。

もし人類学というものを、ある人物に職能的な専門性や研究の基盤を与えてくれる知の体系だと考えるひとがいるなら、到底『メイキング』を人類学の書だと認めることはできないだろう。だがインゴルドが主張するように、人類学が身のまわりの世界に注意を向けることで知恵を身につけ、新鮮な知的空気を吸いこんで柔軟に自分を変化させて環境に適応し、複雑な自然や宇宙や世界をそのままの形で理解するための知への道のりだと考えるなら、本書ほど人類学の冒険の書として適したものはない。(『メイキング』p.304 訳者あとがき)

『ラインズ』はシステム的思考に回収されない道なき道を切り開く詩的想像力を強烈に喚起する力を備えている。

(『ラインズ』p.261 訳者あとがき)

拾い読みをしながらバスに乗り、降りて畑へとむかう。この日定植するハーブ類のまわりに人が集まっており、佃農園の民さんが「ディルはピクルスを漬けるのに使う」と話していて、これはっ、と即座に会話に入り、どおりで、初めてディルを食べたときマクドのピクルスの味やと思ったんです、という話をしたらけっこう受けた。

この日はトマトとキュウリの支柱立て、マルチ張り作業のつづき、ハーブ類(コリアンダー、ディル、フェンネル)の植え付けなど。支柱立てに使った器具の名称は「打ち込ん打ろう」(うちこんだろう)。農業機具の名前はわりとこういうのが多いです、というような説明を聞いて、けっこう重たい打ち込ん打ろうを数人で持ち上げて支柱のてっぺんにひっかけて、懸垂するような要領で打ち込んでいく。

ひととおり作業を終えて、最後はタマネギの収穫と即売会。畑の端っこにある畝のネギみたいなやつを引っ張るとすぽんすぽんと丸い玉、タマネギがどんどん出てきて子どもたちは大はしゃぎ、わかる、わかるよ、なんか嬉しいよね、地面から細いのを引っこ抜くと全然形のちがうまんまるのやつがぽんぽん出てきたら楽しいよね、と思いながら「これは千葉雅也が『いないいないばあ』を例として挙げていた『反復されるものとしてのリズム』ではないか」ということに気がついた。

意味を離れた、リズムに乗った体の動き、それ自体の楽しさ。ぐっと細いところを握ってずいっと上に引っ張ると、ぽんっと丸い玉が出てくる、嬉しい。存在と不在、キックとスネア、くりかえしのミュージック。丸い玉はおっきい、たまに小さいやつも出てくる、次はどんな大きさだろうか、うねり、生成変化の多様性、サスペンス。

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