とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

5月24日(金)目の前に落ちてくる爆弾

ニュースで「食糧危機に陥ったとき、国が農家に生産量を指示できる法律」みたいなのが通った、従わなければ罰則規定もある、というのを知る。

www.asahi.com

手元に持ち歩いているメモに「われわれはSNSのインプレッションに唾を吐いて泥臭く生き延びなくてはならない」と書き残している。

図書館で本を返却したあと恵文社に行き、今日は予算的に買うのを控えよう、と思っていたが入り口そばに陳列してある『現代詩手帖5月号 パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く』が目に入ってぱらぱらとめくり、これは今読まなくては、と思い買って帰る。

本書には、パレスチナ在住やパレスチナに関わりのある詩人の作品が多数掲載されている。最初のひとり、リフアト・アルアライールの詩『私が死ななければならないのなら』を読む。プロフィールによれば「ガザを代表する詩人のひとりであり、若い作家たちの精神的支柱」「2023年12月6日、イスラエル軍の爆撃の標的となり、殺害された」とある。

「物語がわたしたちをつくるのです」と、リフアトさんは、生前おっしゃった。つぎの世代へ、またつぎの世代へと、その土地のうえで生きる人びとのあいだを、語り継がれていく物語というものがある。(略)

イスラエルパレスチナに対して行なっているのは、その土地の「物語」を奪い、みずからのものとする暴力である。だからこそ、侵略者は歴史を語る老人たちを恐れる。新しい歴史を生きる赤ん坊を恐れる。

(p.25 「解題」松下新士)

続くアリア・カッサーブは2001年生まれの作家で「リフアト・アルアライールのもっとも親しい教え子」であり、訳者によれば、現在も彼女は大量虐殺下のガザで「書くこと」を続けている。

現在。現在とはいつのことだろうか。この本が出版されたとき、いや、訳者がこの文章を書いたときのことだろう。あるいは、出版に至る前、校正の段階で彼女は生きていたからこの表現で出版された。そのときここに書かれた「現在」は「現在」たりえたのだろう。

では今は。私がこの本を開き、読み、こうしてこの文章を書いている2024年5月24日、19:23現在は。現在はどうなのか。彼女は、ガザで執筆を続けているとされる彼女は、生きているのだろうか。それを、知る術がない。ためしに「アリア・カッサーブ」と検索してみても、本人のSNSアカウントは見当たらない。表示されるのは彼女の詩の翻訳者の投稿や、この現代史手帖に関する情報だけだ。

さっき火をつけた土鍋のごはんはもう炊き上がっている。湯煎していたレトルトのカレーも、火を止めてそのままになっている。落ち着かない気持ちで米とカレーを皿に盛り、スプーンを口に運び、食べ終わり、手を組み、目を瞑った。災害の犠牲者を思って、あるいは神社で、もしくは墓の前で故人に祈ったことはある。けれど今、この瞬間、何もできない。そう思いながらせき立てられるように手を組み、自発的に「祈る」というのは初めてのことだったかもしれない。

日本は「戦後」と言われているが、いまも戦時中なのだ。

日本の人たちは気の毒な状況に置かれている人に対する「かわいそう」という共感はすごくあるんですね。北陸地震であれ、ガザであれ。でも、政治的、歴史的不正の犠牲者に対する共感力が乏しいように感じます。私たちの身に起きてはならない不正は、誰の身にも起きてはならないという認識、それが連帯ですよね。

(p.73 岡真理「人間」の物語を伝える責務)

そうだ。これは私たちの身に起きてはならない不正であり、それが今、「現在」この瞬間も行われているのだ。遠く離れた土地から、一冊の紙の束に乗ってやってきた言葉はそれを教えてくれた。暗く、静かな住宅街の上空に、いま爆弾が降り注ぐ。わずかに空いた窓の隙間で音を立てているこの風は、目の前のドラッグストアが爆撃を受けて生じた爆風にちがいない。

(詩に登場する)これら戦闘機は日本の空を「守って」おり、またガザの市民を四六時中監視するドローンも輸入される可能性がある。24年3月現在、防衛省が配備を計画しているドローンの候補五機種のうち三つがイスラエル製で、彼らのドローンの売り文句は「実践で有効性が実証されている」ことだ。「実践」にパレスチナでの虐殺が含まれていることは論を俟たない。防衛省イスラエル国防省は「防衛交流に関する覚書」も締結しており、虐殺を根絶するためには日本とイスラエルの軍事上の関係を清算する必要がある。

(p.32「解題」山口勲

防衛省に意見メールを送る。このメールはどのように処理されるのだろう。何百、何千と寄せられる意見メールは、担当者によるなんらかの処理を経てExcelの一覧表となり、印刷され、ホチキス留めして会議資料として「協議」ではなく「報告」され、会議が終われば分厚いファイルに閉じられて文書庫に眠るのだろうか。そして保管期限が過ぎれば破棄されるのだろうか。これは想像だ。どうすれば、いま、目の前に落ちてくる爆弾をとめることができようか。

と、ここまで書いていま(2023年5月29日(水))言葉を付け加えている。いま目の前に爆弾が落ちてきたら、と想像することと、実際に落ちてくることとではあまりにも事態が異なる。安易な想像のうえに、安易な比喩を並べて言葉を弄んでいるだけではないのか、ともう一人の自分が問いかけている。今週末はデモに行く。

f:id:r_ps22:20240529152022j:image