5月22日(土)筒状のダンボール
朝から散歩。近くの公園を通りかかると、地域のおばちゃんたちが掃除をしていた。京都市指定の大きなゴミ袋の中に筒状のダンボールが入れてあり、あれはたぶん袋を自立させるための骨組みのようなもので、そういうローカルなノウハウがなんかいいなと思った。きっと新しくおばちゃんがメンバーに加わったりしたら「これはな、こうすんねんで」と先輩が教えたりするんやろうな、と想像したりした。
5月23日(日)バナナ無限湧き
山道を走り、途中でドンキーコングの要領でジャンプしてバナナを獲得する夢のののち起床。たぶんこれの影響。
22:55くらいの「バナナ無限湧き」でめっちゃ笑った
『群像』6月号掲載の竹田ダニエルさん『世界と私のAtoZ ❷私にとってのセルフケア・セルフラブ』がとてもよかった。
頑張っても頑張っても、資本主義社会や人種差別が社会の構造として存在している以上は、その問題を根本的に解決せずに豊かな暮らしを夢見るのは不毛であるということを、Z世代はよく理解していると思う。スキルアップして会社の中で出世して収入をあげることよりも、自分の好きなことを、好きな人と一緒に、メンタルヘルスを大切にしながら、楽しんでやれたらいい、そんな心意気さえ感じる。
彼女たち、そしてZ世代的な価値観が提示するセルフケア・セルフラブは、ナルシシズムという形での自己愛や「自助」を装った自己責任論、さらには自己啓発書などに見られる「セルフヘルプ」の価値観とも異なる。社会の構造と向き合って何かしらの変化を起こしたり、コミュニティ内で助け合いや学びあいを可能にするために、自分というエネルギー源を守るものなのだ。(竹田ダニエル『世界と私のAtoZ ❷私にとってのセルフケア・セルフラブ』)
自分はこの文脈で分類するならZ世代の一つ上の「ミレニアル世代」にあたると思う。なのでここに書かれているような感覚をナチュラルに持っているわけではないけれど、なるほどなあと思いながら読んだ。
夕方、『花束みたいな恋をした』を観た。感想を語り合ったり、人の感想を読み漁ったりしたくなったりするやつだった。もうちょっとリアルタイムで観たらよかったな。
5月24日(月)無題
久々の出勤。ぼーっとしてタッチする定期を間違えてしまい(乗り継ぎのためにICカードを二枚使っている)改札で足止めを食らった。
5月25日(火)窪み
職場の建物の外壁の一角に、人がせいぜい2人入るくらいの狭い窪みがある。上司が「昔はようここでお世話になったわ」と言うので見ると、壁に禁煙の貼り紙があった。煙草を片手に窪みにたむろする、スーツ姿の男たちを想像する。「昔は事務室でも吸うてたからなあ」「やっぱそうなんですか」「仕事してんのか煙草吸うてんのかわからんかったわ、吸わへんの?」「ええと、ごくごくたまに」「今はなあ、値段も上がったし肩身狭いしなあ」笑いながら話す上司と書類の入ったダンボールを運んだ。
5月26日(水)無題
眠い。関西ソーカルラジオを聞きながら出勤。オノマトペ大臣と神野さんの語りからは「中年の悲哀」みたいなのが感じられて、自分も年齢的にはもうすぐ中年なんやな…と思う。スパイダーマンまた観たいな。
銭湯への道すがら、空を見たけど月は見えなかった。
5月27日(木)ガン飛ばす猫
朝起きて25分の散歩。今のところ毎日続いている。
ガン飛ばす猫
出勤する頃にはどしゃ降り。見事に通信制限に突入。
5月28日(金)無題
帰り道、途中下車して銭湯に寄る。前から会えたらなあと思っていたスタッフの人に会えて、少し話した。風呂掃除とか運動とか、自分が「好きだ」とか「やりたい」と思ったことを無理なく続けられるよう交渉したり、熱が高いうちに今後も楽しめるよう環境を整えたり、時には熱が下がることもあることを冷静に自覚している人で、見習いたいなあと思いながら帰った。