とりあえず日記

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生活の記録

6月9日(日)本を対面で売る

京都から奈良までは意外と行きやすく、地下鉄に乗って竹田駅で乗り換えれば1時間くらいで到着する。

段ボールいっぱいに詰めた本をIKEAの青いファスナー付ビニールバッグにくるみ、キャリーに固定したものを転がし担いで雨の中到着した初宮神社はとてもこぢんまりした場所だった。入口には「一箱古本+α市」と書かれた看板がある。

境内に入ると主宰の方が声をかけてくれた。出店は初めてですかと聞かれ、そうですと答えると驚いた様子で「なんかパッキングが慣れてそうな感じがしたので」。たしかに我ながらパッキングはうまくいったと思う。出店は7店舗ほど、参集所と呼ばれる小さな建物の和室スペースに上がり、まわりの出店者に簡単に挨拶して設営をはじめる。

やることはたくさんあり、看板を立てかけ、本を並べ、値付け、値札づくり、テイクフリーの通信を折って並べる。ひととおり設営が終わり写真でも撮るかと思っていたところ「ちょっと、それ見せて」と声がするので顔を上げると建物の外にいるおばちゃんが私の棚を指さしている。

これですか、と虚をつかれたような気持ちで岡真理『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』を手渡すと、おばちゃんは頁をぱらぱらとめくり「これ、この値段?」と聞かれたので「1,000円です」と答えると「買うわ」と言って買ってくれた。売れた。この本、ご存知でしたかと聞くと「この岡真理さんいう人、YouTubeで見るねん」という。この本を経由せずしてどういうルートで岡真理が出ているYouTubeにたどり着くのだろう、と思いながらおばちゃんの背中を見送る。

開始早々、というかまだ開始時間前だったが売れた。今回出店するにあたり、自分の旬を過ぎた本だけでなくむしろ最近熱心に読んで語ることのできる本を惜しみなく売る、売れたら買い戻す。というつもりで並べたうちの一冊だ。

値札づくりを進めていると、やってきたのは3人組の女性。肩から下げたポーチには赤色のヘルプマークが下がっている。あたりの様子を注意深く探りながら、私の机の前に腰掛ける。

「ちょっと見ていいですか」「どうぞどうぞ」

3人のうち、向かって左手の方が話し始める。近ごろ目が見えなくなってきたので自宅の本を処分したいのだが、古本屋の査定で値段がつかなかったこと、それなら自分も一箱古本市に出せればと思って見に来たこと。それを聞いて「僕も今日はじめて出店なんです」「ああ、そうなんですか」と話す。

女性はいちばん手近な本を手に取り「読む」というよりは手で感触を確かめているようだ。しばらくしてポーチの中から四角くて黒い、見慣れない器具を取り出して本にあてて覗き込んでいる。「それ何ですか」と尋ねると、どうやら電子ルーペというものらしい。大きめのスマホくらいの画面に、手元の新書のタイトルが大きく映し出されている。器具についたつまみを調節することで、自由に拡大縮小できるようだ。

「市川沙央さんがね、『ハンチバック』で芥川賞を受賞されましたけど」と話してくれたのだが、私は恥ずかしながらその作家を知らず「いちかわさおうさん、ですか」と検索して出てきた著者の写真は見たことがある風貌だった。「その方も、読書のバリアフリーということを言っておられますね」。検索して出てきた記事には、第169回芥川賞を受賞した市川沙央は10代で筋力が低下する難病にかかっており、授賞式の席で障害の有無に関係なく読書ができる「読書バリアフリー」について訴えた、とある。

向かって右手のお客さんが、机に平置きしていた一冊を手探りで手に取り「これはどういう本ですか」と尋ねてこれられた。この方はどうやらほとんど見えていないらしい。手には島田潤一郎『古くてあたらしい仕事』。私はその本について自分の知りうる限りのことを説明した。一人で出版社を始めた人が書いた本であり、出版物が溢れかえる世の中で、島田さんはたった一人(あとで調べると、正確には二人だった)のために本を作ることから始めたことや、絶版になった本を丁寧に作り直し売るという仕事が、多くの人の共感を呼んでいること。その方は、「へえ、一人のためにねえ」と両手で本を持ちながら相槌をうたれた。

正面にいるのはどうやら介助の方のようで、一冊の絵本を手に取りめくり始めた。右手の方が「どういう本?」と尋ねると朗読が始まる。すこし抽象的な内容だったので「なんだか難しい絵本ね」とおっしゃった。「スイミーを描いた人の本ですね」と伝える。「ああ、スイミーの」「児童書とか、絵本とかも、今読むと響くものがあったりしますよね」。

しばらくお話していると、会話の中に、文脈の掴み取れない話が出てくる。聞けば、どうやら視覚障害のある方向けに、書籍を音声データとして提供する仕組みがあるらしい。ボランティアの方が本を朗読し、その音声がデータベース化され、利用者はそれを聞くことで「読む」ことができる。そんな仕組みがあることを、これまで全く知らなかった*1。そもそも、紙の本を「読む」ことができるのは目が見えているからだ。自分に見えているのはこの世界のほんの一面だということを実感する。

いつの間にか三人は「何か買って帰りましょうか」という雰囲気になっていた。「おすすめは?」と聞かれて一瞬思考が止まったが、私が答えるより先に「さっきの本はどうかしら。一人のために本を作った、っていう、あの」という話になり、左手の方がスマホを音声操作しながら何か調べている。すでに書籍音声のデータベースに上がっているものは音声化不可だが、まだ上がっていなければ登録申請ができるのだという。

「さっきの本、著者はだれでしたっけ」

「島田潤一郎ですね」

女性がスマホに「しまだ、じゅんいちろう」と語りかけると、どうやらまだデータ化されていないようだ。「これで他の人も聞けるようになりますよ」と言って、この一冊を購入してくださった。

自分の言葉で自分が良いと思った本の説明をし、それが伝わり、購入を決めてくれたことが嬉しかった。それから、視覚障害のある方の読書世界というものを想像したこともなかった。日本財団の記事によれば「1年に発行される出版物の内、点字化、音声化されるのはそれぞれ約7分の1」らしい。実際にあの本が音声化されるかはわからないが、少しでもそうした営みに加われたのかもしれない。

ちなみに右手の、ほとんど見えていない様子の方は「このあたりに、何かありますね」と『古くてあたらしい仕事』の表紙の上のほうを指でなぞっている。どうやら、うっすらと色の違いが判別できるようだ。私は「人の絵が書いてあります。そこはちょうど顔と帽子のあたりです」と説明したが、そこには平安貴族風の衣装をまとった人が描かれていることや、表紙にそうした絵が描かれている理由までは説明ができなかった。そういうことまで伝えられたらよかったと思う。

その後も、何組かのお客さんがあった。さっきの視覚障害のある方の夫だという男性。「私はね、ずっとサラリーマンやってきましたから。「こうじゃなきゃいけない」っていうのばっかりだったので、定年後のほうが楽しくやってます」。こちらから何か尋ねるでもなく、ひととおり自分の話をされて去って行かれた。誰かと話したかったのかもしれない。終了間際に来られたお客さんは、近くで行われている大きなブックフェアと迷って、こちらに来たらしい。私の棚を見て「なんか、流れがありますね」と言って「ええどうしよう、あんまり買いすぎてもな」と言いながら3冊買ってくださった。

とてもゆったりした雰囲気の市だった。かなり歴史も長く、海外出張もしているらしい。「古本+α」と銘打たれているとおり、本だけを置いているのは少数派で、ベトナム式の顔マッサージ、お鈴のようなものを使った音のセラピー、自家製パンなどを出している人などいろいろで、そしてやはり奈良の方が多く、けれど自分のような新参者を受け入れてくださる懐の深さがあった。

今日のようなことは、たとえば街中の洗練された雰囲気の書店だったら起こらなかったのではないか。今日やりとりしたものは何だったのか。もちろん本とお金の交換だったわけだが、それ以上の何かが流れていたように感じられた。

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