とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

3月14日(月)〜18日(金)

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3月14日(月)

親戚が人を殺し、その様子がマンションの監視カメラに映っていて自分と親はそれを目撃してしまい、親戚がそれに気づいた様子で我々の命を狙いにくる夢ののち起床。空気が春。頭がぼーっとするので駅からは自転車でなくバスを使ったのだが、小学校近くの路上で大きめの缶にセメントを詰めて塩ビのポールを刺したものを見つけて、ああそういえば小学生の頃に運動場で見た覚えがあるなと思う。けれどあの物体の名前も用途もよく知らない。おそらく教師が何かのために作ったものだと思うが、離れた土地で、同じ属性の人たちが同じようなものを作っているのは文化だなあと思う。スープ用の保温マグになぜか冷めた味噌汁を入れてきてしまった。「弁当は冷めてから詰める」みたいな感覚で冷めるのを待っていたのだがボケている。久々にタイツを履かずに過ごした。

3月15日(火)

京都ヨドバシ地下のスーパーにやってきた。まぁちらっと見るか…くらいの感覚で入店したら普段買っている品物のあれこれが異様に安く、冷やかしのつもりだったが気づいたらあれこれカゴに入れ始めてしまった。完全にディスカウントストアお楽しみモードになっていたのだが、レジ近くで「当店は完全現金支払いです」旨の掲示を見つけて愕然とする。ふだんキャッシュレス生活なので財布の中には2,000円しか入っていないのだ。さすがに足りる気はするが、万が一レジで「お金足りません…」みたいになるのは恥ずかしいので、「現金下ろしに行く方いたらここでカゴ預かりますよ」的な気の利いたサービスでもないものかと物色したがそんなものはなく、上限額2,000円のチキンレースが始まってしまった。手に取った商品のあった棚に戻って値札を見て、電卓アプリに金額を打ち込むなどを繰り返して無事にお会計を終えた。ああいうスーパーはたまに行くと楽しいのだが、毎日行くには疲れる場所だなと思う。

3月18日(金)

花粉の薬も飲み忘れ、点鼻薬も指す(点鼻薬も「指す」のか?)のを忘れて家を出たので鼻がムズムズする。完全に花粉の季節である。Twitterのトレンドに「人工地震」というなんとも不穏なワードを見かけたので調べたらなんだか暗い気持ちになってしまった。専門家がわざわざ「人工地震ではない」ことを解説する新聞記事がネットに上がっていたが、その言い方だと「そういうものもあるにはあるが『今回は』違う」というニュアンスにならんだろうかといらぬ心配をする。とはいえ公の場で「存在しない」と言い切るには色々と難しさがあるのだろうなとも想像する。公的な発言や文書は気をつかいますよね。

職場で内示などがあり、自分の立ち位置や周囲の配属が変わったりして、昔は遠巻きに眺めていたこういう光景の当事者に自分もなったのだなと思う。今の職場に来る前は職種的にそういうものと無縁だったので。17時に人事情報が解禁されるとどこかまわりが浮き足立っていて、気づけば自分もつられていて、これはほぼゴシップをおもしろがる心境とおんなじやな、と思う。

2022年2月1日(火)〜3月6日(日)

2月はとにかく忙しかった。連日21時・22時退勤みたいな日が続いて完全に疲弊しきっており、最近ようやく落ち着いてきて「人間の生活」を取り戻しつつある。いつもはiPhoneに打ち込んだメモをもとに日記を書いているがこの1ヶ月はろくな記録がないし、時間が経ちすぎて新鮮さが失われたのでいくつか書きたいことを書きます。

無印良品「ぶどうのクッキー」再発

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「一番好きなお菓子は」と聞かれたら「ぶどうのクッキー」と答えると思う。ずっとどの店舗にも置いてなくて半ば絶望的な気持ちだったのだが、数ヶ月ぶりに見つけて喜びとともに回収した。廃盤ではなかった。よかった。「ぶどうのクッキー」の硬さには個体差があり、自分はガリガリ硬いやつが好きだ。数ヶ月ぶりに手に取った大袋の中身はどれもこれも柔らかいやつで、まるで久々に会った友人がすっかり変わってしまったかのような物悲しさを覚えていたのだが、先日別のを買ったらちゃんとガリガリ硬いやつも入っていた。安心した。

酒と泪と男と女

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近所の銭湯・桜湯に行った。ここのスチームサウナのBGMはいつも渋くて、この日は『酒と泪と男と女』。「男は〜」「女は〜」と連呼する歌詞は今聞くとちょっとなと思うところもあるが、年季の入った浴室の雰囲気も相まって曲の持つ哀愁が五割増だった。昭和歌謡と蒸気でぼやけた視界が溶け合うこの感じを味わうためにここに来ている節がある。過去に流れた『悲しくてやりきれない』もよかったが、ダントツは『川の流れのように』だった。あれは桜湯のスチームサウナで聴くための曲です。あとこの日気づいたのだが、京都の高齢者はめっちゃ「ごめんやす」「おやすみやす」と言う。

寿司屋

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Twitterで「町にある普通の寿司屋には行っといたほうがいい」みたいなつぶやきを見つけて機運が高まり、思い当たる店があったので行った。そもそも寿司屋に馴染みがなく、自分の寿司屋概念は「回転寿司か、回らない高級カウンター寿司か」みたいなところがあり、後者のような店には入ったことがない。去年知った別の店はこの中間に位置するような雰囲気と価格帯でちょうどよかったのだが、今回の店は外から店内の様子が全然見えず、店先にはテイクアウト用のいなり寿司の見本が置いてあるだけで「いなり専門店か…?」と思わせる要素もあり及び腰だったが、入ってみれば町の食堂のような雰囲気ですごく居心地がよかった。寿司屋概念の解像度が上がってよい体験だった。

すこし生活が落ち着いてきたので心身の調子をご自愛しつつ、春からは楽しいことをやっていきたい。

 

1月22日(土)〜29日(土)

1月22日(土)

耳鼻科に行って、その足で前から行きたかった中華屋で昼ごはんを食べた。隣の席のご婦人2人が「コロナ収まったらどこ行ってみたいとかある?」「そやなあ、たいてい行きたいところは行ったからなあ。あ、でもしまなみ街道ていうん?あれは行きたいなあ」と話していてよかった。さいきん、去年の春頃に愛知の音楽フェスに行ったのを思い出して、ほんとに行ってよかったな〜と思い出に浸るみたいなことがよくある。今年はそうやって後から思い出したくなることをもっとやりたいなと思う。

1月24日(月)

去年手続きしたふるさと納税の返礼品で、六花亭のお菓子詰め合わせが家にある。言わずと知れたバターサンドはもちろん同社のその他製品もたくさん入っており豪華なのだが、賞味期限がそんなに長いわけでもなく、そうなると口さみしい時にカジュアルに食べてしまうみたいなことが起こり、ありがたみが薄れてよくない。バターサンドに対して「賞味期限切れたからさっさと食べへんとなあ」みたいな感情を抱きたくない。高級菓子はたまに食べるからよいのだ。

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1月25日(火)

意味もなくビジネスホテルに泊まる、というのをやった。昼間にTwitterを見ていたら「意味もなくビジホ」に言及するツイートが目に入ってこれや、と思いそのままスマホで適当な宿を予約した。マクドのセット、コンビニのビールとサラダ、志津屋のパンなどを買い込み、大浴場で温まって適当なテレビを見ながら酒を飲んで寝た。朝、朝食を買いに出かけたときにコンビニで珍しく紙の新聞を買ってみたりした。

1月29日(土)

初めて京都府立植物園に行った。温室が異様に良かった。

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熱帯の植物たちは普段見慣れている植物とは大きさが桁違いだったり異様に色がビビッドだったりして終始驚きっぱなしだった。そもそもルールが違うというか。大きさ、形、色、太さ、実の成りかた、いろんな側面で自分の中の「ふつうの植物像」から外れるものが次々と目に飛び込んでくるので、軽いトリップ感があった。館内の説明書きに、「普段我々が見ている植物は全体のほんの一部」みたいな意味のことが書いてあり、ほんとにそうだなと思った。いや〜充実した展示だったお腹いっぱい、と思って一息ついた場所がまだ中間地点だと気付いたときはさすがにどっと疲れた。これで植物園の入場料込みで400円は安すぎる。もっと払いますという気持ちになる。持ち帰りの観葉植物販売コーナーとかがあったら爆買いしていたかもしれない。

あとサボテンの名前がどれも狂っていてよかった。

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ヤン車に書いてありそう。

少し前、この植物園を含むエリアを商業向けに再開発する計画への反対運動があるのを知って、再開発はやだなあでも行ったことないしなあと思っていたが、今回行ってみて明確に再開発なんてやめとくれという立場になった。