とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

4月15日(月)〜17日(水)

4月15日(月)

うっすらとだるい。午前中は寝たり起きたりしながら体調を整え、午後に家を出てすこし歩いてバスに乗り、車内で岡倉覚三『茶の本』をめくる。めくるが頭に入っているのだかいないのだかわからない。

バスを降りるとそこは祇園、八坂神社、免税の看板を掲げた女性店員がこちらを睨むダイコクドラッグ、着物、着物、かんざし、カップル、お土産。少し進んだ裏路地で妻と合流したら「生気がない」と言われてそのとおり、生気がない身体をひきずって長楽館でお茶。着いてからもしばらくは頭がぼうっとしていて、館内の設え、調度品、迎賓館として使われていたそこはたいそうラグジュアリーとうか豪華絢爛といった趣で「こちらへどうぞ」と髪の整った案内係に促されるままふかふかの立派なソファ、に腰掛けて伸びでもしようものなら後ろの胸像というのか彫刻をひっくり返してしまいそうなところに腰掛け、せっかくこの場所の情緒を味わいにきたというのにたいそう朦朧としている。

いいお値段のするパフェとお茶を注文して舌にいちごの甘さや酸味やカラメル、だかメレンゲだかの硬さを感じたりしていると少しずつ意識がはっきりしてきた。後ろに座っている家族連れはお金持ちなのだろう、いちばんの年長者とみえる女性が、一千万がどうとか土地を売るだなんだとしきりに話している。お会計の前に館内を見学させてもらうと手すりも重厚、天井にも豪華な装飾、ガラス戸に収められた立派な調度品、窓からの桜、絶妙なバランスの柄をした椅子と床、こんどは視覚情報で少しずつ意識が鮮明になってきて、けれどお手洗いに入り一人になるとやはり頭に少し霞がかかっている。

祇園の路地裏、夜になると賑わうであろうバーやらラウンジやらスナックやらクラブやらがひしめく通りの昼間は独特の匂いを放っている。これだけ多くの店が入るテナントがここにもあそこにも、よくもまあこれだけの店があり、これだけの店が賑わうほどに人間がいるものだと思うがいまは閑散としていて、ゆうべの酒がアスファルトにこぼれた、うっすらと残る生ゴミ、納品にきた業者の威勢の良い動き、ほとんど人が通らない路地。

京阪のダブルデッカーに乗り込むと運良く座ることができた。都会ではノイズキャンセリングイヤホンを装着することを覚えた、ので耳にいれるとヴォン、と起動音がしてノイズがキャンセルされる。しばらく眠り乗り換えて地上に出ると大阪だ。本町だかなんばだかあのエリアは何回行っても地上に出た瞬間にどっちが北だか南だかわからなくなるが、最近OPAとか高島屋が見えるとなんとなく方向がわかるようになってきた。このあたりを歩くのも久しぶりだ。人が多くてみんなエネルギーに満ちている、笑って、服を着て、力強く歩いている。

会場に着くと既にかなり大きい整理番号が呼ばれていて我々はもう入場できる。中に入るとまだぜんぜん空いていて、できれば後ろにもたれ掛かかれるような場所があれば嬉しかったがBIGCATはそういう造りになっておらず、向かって右端を陣取り端っこの柵に身体を預ける。もう椅子のあるライブがいい。10年くらい前は平気で開場から開演まで立ちっぱなしで待って、ライブ中も踊って、ときに暴れて発散したりしていたのがもう座りたい。隣にいる親子、父らしき男は大柄で筋肉質で、ヘッドホンを装着させられた2、3歳くらいの子供がミニカーを床に走らせ、およそ父親の目に届く範囲をこえてミニカーは走っていくが親は止めるでもなく声をかけるでもなく、笑みをたたえているがその笑みは子供に向いているものなのかどうか判然とせず、ミニカーは開演待ちの客と客の間をすり抜けて戻ってきた。時折父や母が抱き上げたりしている。

この日のために関西に帰ってきたというMさんを偶然見つけ、パートナーの方とはじめてお会いして少し挨拶し、折坂悠太のライブが始まり、ドラムの音が振動がびしびし来る。初めて聴く曲、久しぶりの曲、久しぶりの曲は久しぶりだから存在を半ば忘れていて、イントロを聴いた瞬間にこの曲を初めて聴いた時、あるいは前にライブで聴いたときのことが思い出され、そのときは涙腺がゆるみ、この日も緩んだ。何度も聴いて馴染んだ曲はみたことのない楽器で演奏されていた。ギターよりも小さい音の高い、高いのか、弦楽器。形がかわいい、ギターは体調が悪いときは少し重いのであれくらいのサイズのだったら弾けそう、と思いライブ後に検索したがはっきりしない。マンドリン?終演し、満たされた気持ちでうどんを軽くすすって電車を乗り継いで帰宅。帰路の電車はぐったりとしていた。

4月16日(火)

日記お休み。ひたすら寝て起きて寝て起きて銭湯に行って寝て起きてしていた。

4月17日(水)

頭痛、がしていたとメモしている。日記を書いてもう過去のことだなと強く感じるのは体調が変化したときで、これを書いている18日(木)は頭痛もなくわりと体調が安定している。この日、ポルタ地下街の古本市に立ち寄って購入した片山洋次郞『生き抜くための整体』を読んで呼吸が大事、とあり、深い呼吸をすることをこれを書きながら意識していて、古本市に行ったあとは診察で最近不安に思っていた事柄などについて相談し、ずいぶん安心したことも影響していて今日は身体が落ち着いている。
結局古本市でも本を買い込んでしまった。これは気になるけどまず図書館で借りるかなという本、一方でこれは今すぐ読めるかはわからんが手元に置いて、ピンときた時にすぐ手を伸ばせることが重要、という本があり、後者に対して今は投資を惜しまないようにしよう、というふうに自分に言い聞かせてレジで支払いをする。

ちょうど知人のSNSで見た武田砂鉄『マチズモを削り取れ』も見つけたので購入した。これはやはり男性学、という分野といっていいのかどうか、知識や言語体系として内に持っておきたいと思い、少し前に友人との会話の中でそれはあまりにも社会における男性の優位性について無自覚なのではと思った場面があったがその場でうまく言語化できず、その場でその言葉を繰り出すにはやはり語彙が足りない。

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4月14日(日)

きのうの疲れが残っている。この日も妻と外出の予定があったがお休みさせてもらうことにし、けれど午後になるとカフェに行ってぼーっとするくらいのことはいま必要、できる、したい、という感じになり着替えてpear pressに行くとわりと混んでいる。ベンチ席の端に本がいくつか並べてあり、これも立派な選書だよなと思う。以前見たときにはなかった本が増えている、ような気がする。気のせいかもしれない。『世界をきちんと味わうための本』(ホモサピエンスの道具研究会)が興味深く、手元に何行か書き写した。

世界はあたりまえのようにあって、すでに誰もが味わっているけれど、それをきちんと味わおうとすれば、いつもと違った「何か」が必要です。本というものはそのきっかけを与えてくれるもの。

(『世界をきちんと味わうための本』「はじめに」)

テーブル席が空いたので移動して、日記を書いて、長居することになるのでああカフェイン絶対に摂り過ぎだろうなと思いながらコーヒーのおかわりをして、ケーキも注文して日記を書いて、まわりの客をながめると女性グループばかりで、ちらほらと店員さんとお知り合いなのかなという感じのやりとり、手を振ったりまたね~みたいなのをやっているのが見られ、今日は店主の方はおられない様子で、今度おられたら本の話をしようと思う。

出て、外は暑いくらいの陽気。水筒を持ってこなかったので水、水、と公園の水飲み場に向かうと近くで子供が親と遊んでいて、もしこれが逆の立場、自分が休日の昼下がりに子供と公園で遊んでいて向こうから髪のボリュームが多くてでかいリュックを背負った成人男性が歩いてきたら絶対に警戒するだろう、ごめんなさい、けれど公園の水は市民の公共物、脱水になるわけにはいかないんでね、こちとら珈琲2杯飲んでますんで失敬失敬、と思いながら蛇口というのかひねった瞬間に出てきた水が手にかかるタイプの蛇口、あれをひねる時の指の形は親指と人差し指でハートを表現するやつに似ている、あの形で水をひねり出してごくごくと飲む。

鴨川沿いに出ると葉桜、だいぶ緑をたずさえた桜がそれでもまだ悠々とした佇まいで構えており、そのふもとで人々が飲めや歌えや、歌ってはいないけれど誰もが陽気でその合間を縫って暑い暑いと言いながら進む。リュックから本を何冊か取り出して川を背景に写真を撮り終えたところでさっき公園で補給した水分はもう身体から全て出てしまったようでもう次の補給をしなければならない。引き返してまた同じ公園に来たが今度は水飲み場のすぐそばで子供たちがグループで遊んでおり、さすがにそれに分け入っていくことができず家に帰って水筒にイオンウォーターの粉で溶かすやつを溶かしてがぶがぶと飲んでカーペットに倒れ込んだ。

夕食、妻が火鍋にすると言いながら取り出した火鍋の素、的な中国の物産店で買ってきたそのパッケージに書かれた鍋はそれはもう地獄の釜のような色をしており、ほんまにこんなもん食べられるんかいなという一抹の不安はそう外れていなかったようで、妻がパッケージの指示どおりに鍋に入れて煮込むとほぼラー油鍋みたいな様子になったので豆乳などを足してくれたがそれでも食卓のカセットコンロの上で湯気を上げている鍋の表面には赤くてテカテカした油分がつるつると笑っており、おれは辛い、辛いんだぞと言わんばかりだ。じっさい取り皿に移してしいたけ、肉、餃子などの具材を口に運ぶがもう口が痛い、し、顔面の中心あたりが突っ張るような感じで汗が出てきてこれは、これはもう食えないと思ったがせっかく用意してもらったものに対してそのようなことは言うべきでない、と辛さにやられた脳がかろうじてささやいており、豆乳とか水を取り皿に入れて薄め、表面に浮いた赤い油や具材にへばりついた唐辛子を一つひとつ取り除いたりしてなんとか少しずつ食べ、私より辛いものに耐性があるはずの妻も顔が赤く、汗だくで「これ、もうやめよっか」と言うがやめる、やめるとはどういうことか、食べるのを?けれど今日の夕食は火鍋、やめる、やめたらどうなる、その先はもう考えられなくなっており2人で辛い、これは「つらい」の意味で書いた語だが辛いと言いながらある程度食べ、『光る君へ』が始まるまでに口直しのアイスを買いに行く、という口実に鍋の半分くらいは残して家を出た。
ドラマを見ながら胃の中で何かがうごめいている。妻はアイス、私は飲むヨーグルトを飲みながら吉高百合子は徒歩で石山寺へ向かった。めっちゃ歩く。が、うちはもう2人とも歩けないくらい火鍋にやられてぐったりとしており、結局ろくに片付けをする元気も出ないまま這うように布団にゆき、胃が、胃が、と言いながらなんとか眠った。

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4月12日(金)〜13日(土)

4月12日(金)

何も覚えていない、何も記録がない。日記、という体裁をとっているからにはその日にあった出来事や考えたことなどを書くものだろうが、こうなると何も書くことがない。手帳をひらいてこの日の欄を見ると日中に出かけるつもりだったがそれをやめた、ということを思い出す。いま、これを書いているいまは4月14日でもう2日ほどたっており、なので症状のきつかったこの数日のことをリアリティを持って思い出して記述するということができず、かろうじていつ書いたか判然としない手元のメモに残っているのは地の底が抜けたような、存在の根拠がすっかりなくなってしまうような、という走り書きで、そらあんた辛かったよねと声をかけてやるような気持ちで、これを書いている今は疲れが残っているが気分は悪くない。

4月13日(土)

よく眠れた。と思う。午後、今期初の半袖で外に出る。

ナカザワはわりと混み合っていて、ちょっと時間かかってもいいですか、と言われたがものの5分くらいでカレーが提供されたと思う、測ってはいないけれど、美味く、壁のテレビでワイドショーが流れて橋下徹山田邦子の顔、大谷翔平の通訳がお金をどうしたこうした、なんだか別世界の出来事がモニタの中だ。

美味しくいただいて出て、地下鉄に乗り国際会館の改札を抜けると小さなデイリーヤマザキがあり気持ちがうわつく。阪急はローソン、JRはセブンに駆逐されてしまった小さな駅の売店、その情緒が残っており駄菓子が充実していて、小さなボンタンアメの箱を50数円だかで買い、さらにうわついた気持ちで階段を上がるとバスの時間まで25分ほどあり、幸いベンチが空いていて座って待つとぞろぞろと若い、肌つやのよい集団がやってきて何人かは段ボールを抱えている。きっとサークルの合宿かなにかで人里離れたところにでも行くんでしょう、と思いながら目をやると一人だけ輪の中に入れないというか一歩下がったところにたたずんでいる人がひとりいて、ああ、こういう時どうしていいかわからんよねと勝手な共感を投げかけてスマホを取り出したりしまったりしていたらバスが来た。

目的の停留所で降り、事前にメールで指定された場所をなんとなくこっちかなと思いながら歩いていきそれらしき建物が目に入るがそれらしき人はあまりおらず、心細い気持ちでいるとそれらしき人、リュックを背負って帽子を被った20代くらいの男性、を見つけて「農業塾の方ですか」と声をかけるとそのとおりで、向こうも同じ質問をくれたのでそうですと答える。と、さっきまで建物の端の方で本気ロードバイク、あのハンドルのぐいんと曲がった自転車の横で荷物を整えていた本気ロードバイク乗りの格好、空気抵抗を最小化するタイトな服を着たサングラスの女性が話しかけてきてどうやらその方も同じ目的のようだった。
しばらく待ったあと、会議室のようなところに案内され集い、つくだ有機農業塾がスタートした。主宰の渡辺さんは「農民です」と自己紹介をした、かっこいい。「農民です」なんて自己紹介これまで聞いたことあったろうか。会社員です、ある。プログラマです、ある。農家をしています、これはある。農民です、これはなかった。

農業とは何か、有機農業とは何か、有機物とは、肥料とは、土とは何か、そうしたひととおりの講義を受けたあと会議室に集った10数名の自己紹介の時間がもうけられ、作付計画、つまり何を栽培するかを決めることになった。「夏野菜を挙げていきましょうか」という流れになり、きゅうり、なす、ときておれはトマト、と言うつもりが直前の人がトマトと言い、え、ちょっと待って全部言われてしまった、とファイブボンバーのような緊張感のなか自宅のプランターに先日植えた「えんどう豆」と答えると「あ~ちょっと春の野菜ですかね」と黒板の端のほうにいちおう書いてくれた。参加者全員が挙げた夏野菜(+春野菜1)が黒板に書き出され、一部の品目をのぞいて21種類をこれから栽培することになった。
畑に出て土をさわり、鶏糞からできた肥料や畑の土質を調整するための牡蠣のガラ(?)を「み」という道具を使って畑に蒔いていく。案内メールの「こちらで準備するもの」という項目の中に「肥料、み、メジャー、スコップ……」などと表記があり、てっきり誤植かと思っていたられっきとした「み」だった。み、み、きゃりーぱみゅぱみゅアイスの実の曲でこういうのがあった気がする、み、み、と頭の中で唱えながらオレンジ色の「み」 を両手で左右に振りながら粉を蒔いていく。それから苗をつくる、ということで何かの土と何かの土、バーミュなんとかを混ぜて黒い製氷皿みたいなものに混ぜた土を入れてドラゴンボールのナッパが栽培マンを育てるときの要領で土に指を突っ込んで凹ませ、種をいれて土をかぶせて今日の作業は終了。わさび菜を収穫させてもらって袋に詰めて帰った。

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