とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

6月23日(日)〜25日(火)

6月23日(日)

雨。午前中は日記を書いたり『虎に翼』を観たりしていた。1回につき1週分観るのでオープニングを5回見ることになる。たまに飛ばしたりもするが毎回わりとちゃんと見ている。台所に立っている時にも米津が歌うようになってきた。昼、お好み焼き。午後、本棚のメンテナンス。メイン棚2つの本を抜き差しして今は旬ではない、というものをより分け、呼んでいる途中の本やいま重要だと思う本の表紙が見えるように配置する。月に1度はこれをやるようにしたい。

6月24日(月)

平木典子『アサーション・トレーニング さわやかな〈自己表現〉のために』を読む。アサーションの概念自体はもうずいぶん前から知っていたが、きちんと本を読み通すのは初めてだった。

「非主張的な言動をしているときは、相手に譲ってあげているようですが、自信がなく、不安が強く、それを隠して卑屈な気持ちになっていることもあります。また、自分から自分の言論の自由(人権)を踏みにじっているような言動になります(P.26)」

私は攻撃的/非主張的かでいえば後者の傾向が強いが、自分で自分の言論の自由を踏みにじりたくない、と思う。

夕方、植物園を散歩する。紫陽花が見頃で、少し気の早いひまわりが咲いている。敷地北側の野菜が育つ小さなスペースに立ち寄るとトマトが伸び放題になっていて、ここ最近農業塾で習っている「トマトの脇目を切る」という作業を代わりにやりたくなる。これが主軸、これが葉っぱなのでその間にあるのが脇目、これは切っちゃっていいですね、とぶつぶついいながらトマトをさわる。

6月25日(火)

源湯でタイルの目地埋めを手伝う日。昨日のうちに男湯の半分くらいは作業が終わっていたようで、タイルの目地材という名前だったか、粉を桶にばさばさと入れて水を少し加えて、お好み焼きをつくるような要領で生地をこね、ゴムへらで浴室の床に塗りつけていく。浴室の奥から、手前のほうに向かって、後退しながら、Sさんとこの日ほぼ初対面のUくんと話しながらひととおり塗り終わると次は削る作業、余分に残ってしまった部分を削りとる。

何年か前に自己分析の質問か何かで「淡々と同じ作業を続けるのは好きな方ですか」と聞かれたとき、うーんどっちやろうなと考えたことを思い出したが、目地を埋めながら好きなほうやなと思う。手を動かした結果がダイレクトにわかる。やったらやっただけ、やったことが見えるというのはシンプルで気分がいい。腰が痛い。

昼食をとり午後は女湯に移動して3人で数時間かけてひととおり目地を埋め切ると浴室の床が真っ白で「白銀世界やな」と言って笑う。これは「今からこんだけの広さの床を削らなあかんのやな」という、これから始まる重労働への負荷を紛らわせる笑いだ。さっきまで自分たちが自らの手でせっせと埋めた目地、その余分をこんどはガリガリ削り取っていく。削り取られた目地材は粉状になって浴室を舞い、箒で掃いてちりとりで受け、ゴミ袋に入れる。何袋ぶんもの目地材を使い、そのほとんどをこうして削り取り捨てていると、砂の城を造っては壊し造っては壊しを繰り返すような狂気じみた虚しさを覚えるが、床をよくよく見ればタイルとタイルの間の黒い隙間はしっかりと白く埋まっている。

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