9月27日(金)
NHKの朝ドラ『虎に翼』が終わってしまった。さみしい。一話から全部通して観たのは『あまちゃん』以来だ。ついさっき、好きな書き手の人が旧Twitterで「ムカつく気取ったきっしょい連中がこぞってほめていた朝ドラ」と評していたのを見たが、あまりSNSの感想を追っていなかったので私はその「連中」が誰かを知らない。私は好きなドラマだった。
特に印象深かったのは主人公・寅子が頻繁に口にする台詞「はて」と、それに対置するように発せられる内縁の夫・航一の台詞「なるほど」だ。現状に意義を申し立てる「はて」に対して、「なるほど」は現状に対して距離を取り、飲み込む。
ドラマ序盤、物語は寅子の「はて」によってドライブする。社会における女性の置かれた現状、法曹界の「こういうもんだ」という通例に対して「はて」と繰り返す寅子の姿は、彼女を取り巻く状況や人物に影響を与え、変化を起こしてゆく。一方の航一は、当初から多くを語らない。真意の見えない「なるほど」の一言は周囲を戸惑わせ、場の空気を一瞬、止める。しかし彼が自身の戦争体験を語ったことにより、彼もかつては「はて」と抗議し、その抗議を無視されたことが明かされる。彼の「はて」は姿を潜め、「なるほど」が顔を出す。
だから第126話で航一が桂場に意見したシーンは象徴的だった。寅子の「はて」の伝播は、「はて」から最も遠い場所にいる「なるほど」の航一にまで達する。航一は、長官室を訪ねて尊属殺の重罰規程の検討を桂場に求めるが、桂場はこれを「時期尚早」だとして一蹴。いったん航一は「なるほど」と飲み込み、部屋を出ようとする。しかし出口のところで踵を返す。桂場に向き直った一言目の「いや、やっぱりわかりません」は、航一なりの「はて」の言い換えだ。「人権蹂躙から目をそらすことの何が司法の独立ですか」と声を荒げ、感情をあらわにして、鼻血を出して倒れる。航一は目を覚ましたあと、自宅に戻り寅子と向かい合い「一区切りついたような。あの、戦争のでしょうか」と語る。
9月28日(土)
前日夜、友人のTさんと飲みに出かけた。飲みすぎた。はじめてのba hutte、それから名前を忘れてしまったが一乗寺あたりの洞窟のような居酒屋。まだ酒が残っていて身体が重く、眠く、寝室の時計が大幅に遅れていてリビングに出ると10:30だった。重いまぶたと身体を引きずってバスに乗ってなんとか大原に到着する。気温が下がってくれたのがせめてもの救いで、前回に引き続き畑の片付け作業を進める。よく考えると当然なのだが、植えて、収穫して、次に植えるためには準備を整えなければならないのだ。スコップで土を掘り起こし、この夏、獲っても獲っても生えてきた空芯菜の根っこをごそっと浮かせ、引き抜く。ナスはまだ成る。大きいトカゲ。ツヤツヤしていて、ぬるぬると土の上を這うように動く。佃農園の渡辺さんのマネをして、イモムシを素手でつまみ取る。
9月29日(日)
前日夜、『コーダ 愛のうた』を観た。物語後半、主人公がステージで歌う場面で映像が無音になった場面ではっとした。公演が始まった当初、観客席に座った主人公の家族は周囲の様子をそわそわと伺い、互いに手話で「衣装とカーテンの色が合っている」と会話する。公演の最中、家族の話題はその日の夕食に移り、その様子は会場からどこか浮いている。しかし映像が無音になった瞬間、映画を観ている私たちも一瞬でそれまでの空間から切り離される。情報を得る手段が視覚だけの世界に強制的に連れられ、こんどは私たちが「浮く」。カメラが捉えるのは笑顔で歌う主人公とそのパートナー、歌にノッて身体を揺らす観客、ハンカチで涙を拭う観客。
その後に続くのは、父親が「俺のために歌ってくれ」と娘に頼むシーンだ。父は歌う娘の首元に手をあて、声帯の震えにアクセスしようとする。車の運転席で、「尻にくる」ラップミュージックのベースを感じ取るように。ここで私たち観客は、主人公の声を聞き表情も目にすることができるが、この声帯の震えだけは、受け取ることができない。それは、首元に手を当てている父親だけが感じることができる震えだ。