とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

3月18日(月)

出力のしかた。他人といるときの心地よさというのは、その人の感情や何かしらの内面的なものが、言葉や非言語の何かによって、出力されるそのしかた、強さ、もっと言えば漏れ出かたによって左右されるところが大きいのではないか、というようなことを夜中に目が覚めたときに思い至り、メモしなければきっと翌朝忘れてしまうだろうと想いながらそのまま寝てしまい、翌朝、なにか、なにか思い出したかった気がすると思いながら朝食を食べていたら思い出すことができた。

風が強い。図書館で本を返したあとに立ち寄った古本屋で本を吟味していると、肩にかけていたカバンが引っかかってしまいカゴに入ったチラシをぶちまけてしまい、あああすみませんと拾っていると店主が「自転車も倒れてるで」というので外を見ると強風で倒れた様子で、店主が親切に「ここに停めたらええわ」と教えてくれてそこに停めて「何から何まですいません」と言うと「ついでにこれで鼻かみ、鼻水 本に落とさんといてな」といってティッシュをくれた。そんなに鼻水すすってたかなと思ったがきっとそうだ。店主のおじさんは口調は優しかったが、後半の「本に落とさんといてな」に意味的なアクセントがあったような気がしたがきっと被害妄想だろうと思う。

帰り、古本屋で収穫した竹内敏晴『思想する「からだ」』を開くと先日読んだ濱口竜介と通ずるところがあるような気がしてくる。身体による非言語のコミュニケーションと言葉。

声は、からだからことばが生まれて他者に至ろうとする、もっともなまなましいプロセスの現れだ。話す主体はそこに姿を現す。(p.16「からだと ことば」)

実感で言えば、からだの深みとでも言うより仕方のない漠然とした暗闇から、定かでない動きが次第に浮かび上がってきて、おぼろげなゲシュタルトを凝固し始める。これを「ことば」の網目になんとか掬い取って語句にまとめる。とそれが今度は「からだ」に光を当て、ある側面を際立たせると、その像を示すことばがからだを導き、やがて、ことばとことばの組み合わせだけがからだを押しのけて構造を作り出す。この筋道を、なんとか粗描してみたい。これはくらしの中でことばを築き、先へ歩み出るための作業である。(p.27 同上)

下層にあるからだ―生きものとして、と言っていい―を保ちつつ、表層の言語の最も精緻な最も高い達成を探り習熟ししかと遊ぶこと、その二重の世界を同時に生きることが、人間である、あるいは人間になる道なのだということである。(p.35 同上)