とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

3月19日(火)

7時半起床。夕方から漢方内科。診察室に通されるとまるい頭をした穏やかでつるんとした先生に問診票をもとに色々と聞かれ、舌や脈を見てもらって漢方薬を処方してもらった。期待していたような明確な証の診断をされたわけではないが、どうやら「気虚がありますね」とのことで、同時に「でもね、あんまり気にすることないですよ、これだけややこしい世の中なのでそれくいらいの人はいっぱいいますから」と言われた。診察室でさあ自分は何タイプなんだいと身構えてメモを手に持っていると「メモよく取りますか」と聞かれて、神経質な人間に映ったかもしれない。とりあえず一週間、処方された漢方を服用して花粉症などの経過をみることにする。

次の予定まで時間があり、京都駅のオープンエアの寒空ミスドで過ごすことにし、プラリネなんとかというスタンダードでないタイプのドーナツを2つとカフェオレを注文して座り、午前中からうんうん唸ってなかなかまとまらない日記の編集をした。一度流れるままに書いた文章は途中でどんどん自分から外れていく感じがし、そこからいったん白紙にし、もう一度書き始め、音楽を一曲聴いて頭を切り替えてからもう一度読み返し、より感覚の鋭利なところにずれがないかを確かめるように読み直し、ずれているところを直し、また音楽を聴いて空を見て、最後の書き直しをしたら出発時間だった。

JR車内で『ユリイカ』柴田聡子特集を読んでそのままライブ会場へと向かい、この日来ているというNちゃんとYさんと開演ギリギリで合流、スマホを見るとKちゃんからLINEが入っており、今日更新した日記についての感想メッセージで、とても嬉しく、とても嬉しいと返す。あと3分でライブが始まる、というタイミングで感想の詳しい内容が送られてきて、何度でも読み返したい、しかし今はそれがかなわないが嬉しい、今から柴田聡子のライブが始まるから後ほど!と返信してスマホを閉じるとライブが始まる。

柴田聡子はギターから自由になっているように見えた。これまでがギターに囚われていたということではなく、最初から手にはマイクだけを握り、ステージ上をグルーヴィーに動き、立ち振舞いはラッパーのそれであり、あのアコギ一本の弾き語り、センターマイク前の直立不動さとのギャップが鮮やかで、さらに以前のバンド編成よりものびのびと、全体が躍動しているような、表情も、動きも、音も、ひとかたまりのやわらかな伸び縮みするつるんとしたゴムのような液体のような。

頭の中で詩を把握している箇所がくるとそこを追う、頭の中の言葉と歌声に乗る言葉を重ね合わせ、なじみ、染み入り、次の言葉がやってきて、そこは詩として把握していない箇所で、意味はふわりと落ちてきたティッシュのようにテンポをずらし、ただ音としてそれを聴く。集中力は前のめりで、頭の先、おでこの先をステージに向け、足元は踊る。時折、さっきのLINEのことを思い出す。どう返答しようか、隣の人の頭の動きは、腕を組んでいる自分は、明日の予定は帰りの電車は。

アンコールなしのすっきりとした潔い終焉、柴田聡子の、相変わらずの照れの混じった、しかし今夜は少しの自負、やったったぞ、どや、というやや低みのある「センキュウ」。帰りにNちゃんとYさんとかすうどん屋を目指す。「かすうどん食べませんか」「いい店知ってるの?」「これから探すんです」というやりとりで自分はかすうどんを目的として店を探したことがない。北新地のビカビカの、白いふわふわのコートをハイヒールを纏うお姉さん街にあるうどんは出汁が美味く、2人はその後銭湯に行くようだったが自分は別方向の電車だったので解散。

実家に帰り、荷解きをして猫が足元にすりより、どてこんしてくれた。ひととおり足の臭いを嗅ぎ、足の甲を枕のようにしてどてこん、と横になる。辞書にはない言葉だが、これはどてこん。自室は別の飼い猫に占拠されているので、風呂に入りリビングに布団を敷いたところで父が「ジントニック飲むか」という。少しの照れ、ふだん明瞭に他人に矢印を向けるように見えない父がこういうふうに言うときはかなり明確な矢印をこちらに向けているときである、ということはかなり前から気づいていたが、ここ数年でそれをすくい受けられるようになった。こちらにも少しの照れがあり、互いにそれはもう口にしないがバレており、しかし互いにわかったうえで、父がキッチンでつくってきたちょっと和風の味やで、というグラスを受け取り、父がこの間ずっとしたいであろうと想像される、僕の自宅の、IKEAの脚に板をただ乗せただけの簡易机の天板の固定方法について、僕が父にDIYの先輩から意見を乞うというかたちで、適切な金具のサイズやビスの太さについて、熱心に図示しながら示す父と手元のメモを見る。これも数年前にはできなかった胆力の使い方かもしれない。父はいま気分がよくなっている。それをどこかで疎ましいと思っていたところがあったな、いや、今もそう思う瞬間がないではないが、それも含めて「それやったらこっちの取り付け方のほうが良さそうやね」と話せるようになり、気がつけば時刻は25時でもう寝なければならない。

f:id:r_ps22:20240323230749j:image