とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

3月13日(水)

午後、前職でお世話になったKさんと喫茶パーチで会い、先日いただいた結婚祝いのお返しと3年前から漬けていつまでも減らないうちの梅酒のお裾分けを手渡した。平日の昼間だというのに女子高生二人組が喋っていて、授業はどうしたのかと思ったが3月なのできっと春休みなのだった。てっきりお茶でもしに来たのかと思いきや彼女らのテーブルに運ばれてきたのは大盛りのカレーで、日本史Bの教科書と英語の参考書が片手に。
解散し、余波舎へ行って本棚を眺める。前回来たときはあとに予定があって落ち着かない気持ちでそそくさと出てしまったが、今回はゆっくりと見ることができて、パウル・クレー『クレーの日記』、網野義彦『職人歌合』、濱口竜介『カメラの前で演じること』を購入。レジで店主の方と話すと以前来店したときのことを覚えてくださっていて「日記書いておられるんでしたっけ」「言語表現とかがお好きなんですか」と聞かれ、言語表現、言語表現が好きなんだろうか、でもそうか、と思いながら保坂和志や岸雅彦や穂村弘の話をした。するといくつかの作家の名前を教えてくださり、iPhoneのメモ欄にメモをして、もう一人の店主の方が帰ってこられて、どうも共通の知人がいるらしいことがわかる。「本屋が好きで」「どこの本屋さん行くんですか」と聞かれて「誠光社さんとか・・・・・・」と答え、でもおれは一体どこの本屋に行っているんだろうなとしばらく考え、恵文社さんとかも行くんですけど、本が多くて圧倒されちゃうんですよねという話をする。その点、余波舎さんは本が絞られているというか、店主の方は「まだ少ないからもう少し増やしたいんですよね」とおっしゃっていたが、今くらいの棚だと一冊一冊をじっくり眺めることができるような気がする。置いている本も硬派というのが適切かどうか、いまたとえばSNSで話題になっていてなんとなく興味を持っていて、あの本屋やあの本屋に行けば必ず置いてあるような新刊、そういう本がここにはあったりなかったりする。そのことに少し安心するというか、もちろん話題の作品にアクセスできることも嬉しいのだが、今おれは本当にこの本が欲しいのか・・・・・・・という逡巡が少なくてすむ、という気がする。
この日は三冊購入したのだが、やはり手持ちのお金には上限があり、ここで買うか、買うまいかという迷いが多少なりとも発生するわけで、けれど問題は使う金額の上限というよりはその使い方だろう。見栄や義理で本を買わない、ということ。本棚をぼんやりと左から右に眺めていって目にとまり、手に取り、頁を開き、いくつかの行を読み、これはと思った感覚に投資するのであれば金額の過多はそう問題ではないような気さえする。もちろんその「これは」には見栄や義理や、過去の自分の「これは」に引っ張られている可能性も残されているのだが、その本屋を徘徊できる時間的・体力的な制約の中でそれを見極めてレジに持って行く一連の動作。今日、明日、今月食う金に困っているのであれば別だが、今は収入が減っているとはいえそれよりも見栄や義理から距離をおいて棚から本を抜き取る神経を磨くことが肝要であるという気がする。

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