とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

12月29日(金)

ふるさと納税の手続きをした。寄付金上限シュミレータに年収を打ち込み提示された金額と睨めっこしながら、桃か、イクラか、カステラかと血眼になっている時間を、今の政治体制や税金の制度について学ぶ時間にあてたほうがよほど有意義なのではないかという気がしてくる。しかし現行の税制の中でできるだけ損をしたくないという気持ちには抗えない。

縁もゆかりもない自治体の返礼品を買い物かごに入れて、寄付金の使用先をプルダウンで申し訳程度に選んでいるときの虚しさといったらない。市民協働や殺処分ゼロ、子育て支援など、かろうじて関心のあるテーマを選んだところで、返礼品が届くまでどこに寄付したかも忘れ、返礼品を消費した頃にはまたどこに寄付したかも忘れるのだ。

毎年、ふるさと納税はぎりぎりだ。「来年こそは早めに」と思っていても腰が重く、結局どんな制度やっけと思い「ふるさと納税 仕組み」で検索して復習する。要は税金の先払いで、寄付先が選べて、自己負担2,000円で返礼品がもらえる……といった説明を何回読んでもなんだかすっきりしない。制度にかかわるあらゆる言葉と実感がどれも絶妙にずれている感じがして気持ちが悪い。

「寄付」というのはもっと、この場所に残ってほしい、この取り組みを応援したい、力になりたいという気持ちを寄付先に託すものではないか。なけなしのポケットマネーからはたいた寄付金には、少なからず寄付先への願いや祈りのようなものが乗っかっている。あるいは、ニュースで目にする災害や紛争に対して何もできず、雀の涙ほどの金額を募金箱に入れるとき、もしくはオンラインで決済するとき、そこにはこれ以上何もできないけど許してくれという後ろめたさと諦めに似た気持ちがどこかに含まれているように思う。いずれにしても、ふるさと納税の「寄付」にはそういった手ざわりはほとんどない。

「納税している」という感じもしない。サイトから返礼品を選んでカゴに入れる一連の行動は商品の購入のそれで、にもかかわらず表示される金額は寄付金額なので「このいちご普通に買ったらもっと安いのでは」みたいな考えが頭をよぎる。そういう話ではないのに。結果「負担額は2,000円、負担額は2,000円」と唱えながら「購入」ボタンを押すことになる。後日クレジット決済で数万円という額が引き落とされ、その金額は翌年の税金から差し引かれる。頭ではわかっていても、実感が伴わない。全てがちぐはぐだ。ぶつぶつ言うなら制度を利用しなければいい、とも思うけれど、最初に書いた通り「損したくない」という思いを今年も消すことはできず、カステラとコーヒーが届くのを待っている。