とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

3月27日(水)

昼、漢方内科。漢方薬は即効性はないと聞いていたので当然なのだが、この1週間で変化はありませんかと聞かれてもあまり実感がなく、とりあえず飲み続けてみましょうということになる。花粉症改善に役立てば、あと東洋医学的な自分の体質も把握したうえで健やかにやっていくためのヒントが得られれば、という動機で受診を始めたものの、つまるところ自分は気虚の要素が強く、それを意識した生活習慣を組み立てていくことに落ち着くのだろう。この内科もいつまで通おうか、と考えながら昼食をとりにお食事処まつもと、が満席だったのでますやへ。狭くてお店の人も朗らかで美味しくて安くていいお店だ。


食後、いくつかの本屋を見て回ろうと思い一軒目がまったく好みではなく、前から存在は知っていたけれど入るのは初めてで、たぶん音楽の本をメインで置きたいのだと思うがそれ以外の本は相当しゃがまないと見れない場所にあったり棚の奥に潜んでいたりして、本を見ていて不憫な気持ちになってしまった。二軒目はレティシア書房。明るく、いい風が流れている。さまざまな書き手のリトルプレス、京都をふくむ日本各地の小さな、いわゆる独立系の出版社を紹介するポップがあり、自分たちの信にもとづいてものを書き、それを形にし、人に届けようとしている人たちがあちこちにいることへの敬意が滲み出ている。以前、神戸の1003で手に取った雑誌『NEKKO』が京都発の出版物であるということを知り、どの号の特集も興味深い。選挙、自治、あとはたしか仕事。ソロー『森の生活』の文庫もあったのであわせて購入する。


併設のギャラリーでは展示が行われていて、女性作家のそばでずーっとしゃべり続けている中年男性がおり、どうやら作品の題材にかなり詳しい様子で、常に男性側が会話のバトンを握って知識を提供している、という構図に見える。会話の途切れたタイミング、通常ならここで「もうちょっと作品観ていきますね」などのフレーズで会話をそれとなく収斂させてもよさそうな間、そこにすかさず男性が喋り始める、という光景が自分が店にいる間じゅう続いており、これはいわゆるギャラリーストーカー的な状態ではないのか、いや安易なラベリングはよくない、けれど作家は困っていないのか、それとなく作品を見に行って流れを変えたりしたほうがよいのか・・・・・・と思っていたところで作家のお知り合いらしき別の客があらわれ、男性はいくつかのグッズを購入して流れが途切れたので余計な介入はせずに済んだ。作家側が男性に質問を返すような場面もあったし困っていると一方的に断じるのは問題があるが、横で聞いていて落ち着かなかった。


出て、喫茶店で日記の編集と読書ののち余波舎へ。長距離の自転車移動でやや疲れており、お茶を注文して椅子で休ませてもらいながら棚を見て、週末に行われる「ほんやら洞」にかんするトークイベントに行きたいがどうしても行けない無念を伝えに来た、と伝えるとほんやら洞にかかわる関係者のことなどについて色々と教えていただいた。ほかにも京都の書店事情などについても少しお話を聞いたあと、大澤真幸『量子の社会哲学』、レオ=レオニ『ひとあし ひとあし』、マイケル・グッドウィン『エコノミックス』の3冊を購入。今月は本を買ってよい月と決めている。


そのあと源湯へ移動、番台前でしばらく話す。自分と異なる信念を持つ、持ちつつある他者とともにいかに生きるか、ということは日常的にミクロなレベルで我々の前に転がっているが、日常的にはその「異なり」はいろいろな方法でごまかしたり、伝え方をくふうしたり、妥協したりして、軋轢を生まないよう調整しながら日々は流れてゆく。が、関係性が一定以上深い場合やその信念の切実性が高い、強いというのがよいのか、とにかく小手先の調整ではいかんともしがたくなる場面、というのは不意におとずれることがあり、それに直面したときに一体どうすればよいのか、ということを話し、考えたあと湯に浸かる。


上がり、ギャラリー「氵」の展示を覗く。壁一面の作品を見ながら「何をされてる方ですか」と聞かれ、仕事は事務だが体調を崩して休んでいて、できるだけ毎日文章を書くことにしていますと伝えると、書くことや本の話になった。最近読んだ本、人から勧められて合わなかった本、好きな書店。さっき余波舎で購入した本を床に並べて話していると、ギャラリーにやってきた親子の目にとまりレオ=レオニの読み聞かせが始まったり、紙に穴を開けて音を鳴らすタイプの手製オルゴールの音色を聴いたりして、気持ちのよい時間だった。予定よりもかなり遅い時間に帰宅、今日だけでたくさんの情報を得た、のですこし収束が必要とメモする。

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