とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

3月20日(水)

リビングで目覚めるとまだ6時前で、昨日の酒が少し残っているのがわかり、トイレに立って水が足りない、付箋を家に忘れてきた。気がつけば父も弟も起きて、リビングで二度寝するわけにもいかず自室の物品整理を始めることにし、実質的な猫部屋と化している部屋のクローゼットやベッド下の衣装ケースから中身だけを運び出し、建売住宅の狭い廊下に並べていって、どんどこ紙袋に入れていく。弟が思いのほか協力的で優秀な助手である。積み上がった本の塔を捌いていくと、あの本もこの本もある。自分の手元にあったことすら、実際には実家の地層に眠っていたので手元にはないが手元にあったことも忘れていた本、冒頭数ページに線が引いてある。今の自分なら線は引かない。しかし付箋は数十年経ってはがせばページの繊維質を根こそぎ削り取って文字ごと本の外へ連れ去ってしまう。

気づけば8時で、家族のタイミングに合わせて昼食を取ろうとするが一度寝転んでしまうともう動けない。どう考えてもエネルギー不足のままエンジンをふかしすぎた過活動の反動、さっきまで寝ていた畳んだ布団とソファーを並べてこりゃいいやと言いながらアナウンサーの肌質をやたらと高画質で映し出すテレビを眺めて身体が正気を取り戻すのを待つ。回復したところで食事をとり、作業を再開し、二階の、半ば物置と化していた部屋にも手を付けてこの20年くらい開けていなかった絵本の入った段ボールを開封し、弟と懐かしいねと言いながら仕分ける。自分が持って行くもの、弟が持っておくもの、それ以外のもの、それ以外のものは母親がバザーに出すという。表紙を見た瞬間に、自分も弟も母も、3人ともが目を見開いて時間が30年以上巻き戻るような絵本、ここで段ボールを開けなければ忘れていたことも忘れていた、けれど表紙さえ見れば強烈な表紙とページの美しさに全ての感覚を委ねることになるような、そういう本が何十年も箱の中にじっとしていたのだ。掘り起こして、陽の光に当てて、水をあげて、水が土の奥まで染み渡り、元気を取り戻して誰かの目に触れられるように、大切に持ち帰る。

古着も含めるとほとんど引っ越しの様相を呈した実家の部屋の片付けはひと段落し、なんとか実家の車のトランクと後部座席にぴったりと収めることができ、自分はテトリスマスターだと弟に自慢し、父と3人で車に乗り込んだ。出発前、父の本棚には岩崎宏美のCDがこれでもかというほど並んでいるのを見つけ、ファンだったらしいことも母と弟は知っており、自分は知らず、昨日柴田聡子のライブの客入りBGMでShazamしたのが岩崎宏美で、ベスト盤を父に頼んで貸してもらった。ほかにもスティービー・ワンダー美空ひばりなどを借りたいと言うと「ジャンルがバラバラやな」と父は心なしか嬉しそうで、特にスティービー・ワンダーのCDは若い頃に聴いて衝撃を受けたのだ、と普段に比べればほんの少し、出力としてはほんの微量に増大したようにしか見えないがおそらくは内面的にはかなり強めの熱量で僕に語り、思えばずっとクラシックギターをやっている父とあまり音楽の話をしたことがなかった。クラシック以外の音楽は好きではないのだろう、と決めつけていたところがあり、小学生の頃に父の部屋でドリカム『決戦は金曜日』の短冊シングルを見つけてドリカムは聴くんかいと思ったものの結局クラシック人間であるという強固なイメージは崩されないまま数十年が経ったのだが、もっとほかの音楽の話もすればいいし教えてもらえばいいのだ。

f:id:r_ps22:20240326195914j:image