とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

3月30日(土)

新幹線はあまりにもノイズが多い。隣の客の存在感、通路をはさんだグループの談笑、ドアの上を右から左へ流れてゆく文字、ビー、アンビシャスのアナウンス音。とにかく五感、というか味覚以外の四感によってあまりに影響を受けることをあらためて実感したので、新幹線に乗ったら日記書いて読書して……と考えていたあれこれはここに身体をじゅうぶん慣らさないと始められそうにない。むかしAmazonで買った安物のノイズキャンセリングイヤホンを押し込んでrei harakamiを流す、こういう時は何度も聴いた内に向かってゆく音楽、ここで窓の外でも眺められばいいがここは通路側。自由席か指定席かを直前まで悩んで、結局、数日前に指定を取ることにし、年度末最後の週末の座席はこれでもかというほどに埋まっており、これからはノイズから身を守るために絶対に指定で窓側を取ろうと固く誓っているうちに落ち着いてきた。

スマホで日記の下書きを修正して、日記自体をポメラで書き始めようとするがそうすると台に乗せねばならず、隣の客からのぞき見られるのではないか、いや一期一会、別にのぞき見られたとして「なんか書いとんな」と思われて終了、今生の別れなので気にする必要はないのだが気になるのでバックライトを暗くして、隣を見るとイヤホンをしてしっかり眠るタイプの客だったので安心してキーボードを叩いた。途中、今日行く予定のfuzukueのサイトで予約を取り、何度か自宅で読んだ案内書きを読み返す。かなり情報量が多く、しかしこれを絶対に全部読んできてくださいというプレッシャーを与えない絶妙な書き方がしてあり、おそらくこれを書いたであろう阿久津さんの手のひらで転がされるように、行くからには予習しておかなくては、いや、まあでもあんまり身構えて行くのもしんどいしほどほどでいいよね、と思い直してブラウザを閉じた、あたりで新幹線の窓から富士山が見えた。新幹線には何度も乗っていたし富士山見るのも初めてではなかったけれど隣の客が窓を閉めていて、見えへんやんかと悲しい気持ちになっていたら前の客が窓にスマホを向けていて、これは、と身を乗り出すと前の座席と座席の隙間に窓があり、そこに富士山が数秒いた。まるで強靱なディフェンスのあいだを縫う絶妙なパスが通った瞬間のよう。

東京着、と同時に宇多田ヒカルを流し交感神経優位にして大都会に立ち向かう。あまりの人と荷物と看板と文字とお土産と服と靴と顔の多さにこりゃいかんと眼鏡を外してみるとずいぶん楽になった。アウトドア用に買って部屋に眠っている眼鏡ストラップ、街に出るときはあれを日常使いして必要ないときは眼鏡を外して解像度を下げよう。そうしよう。などとやっていたら京王線京王新線を間違えてめちゃめちゃ歩くはめになってしまった。東京は魔窟。

どうにかこうにかたどり着いた初台のfuzukueはすばらしい空間だった。入店して手元に置かれる店の案内書きがもはや一冊の本である。というのはページ数もそうだし書かれている内容、こういう店なのでこういう風に過ごしてくれたら嬉しいな、けどこういう気持ちになられるのも本意ではないのでこれくらいの感じで捉えてくれたら嬉しいです、という過ごし方のガイド、料金システムに続いて飲食のメニューが書かれていて、そして奥付がありレジで販売もされている。本だ。

約束された静けさのなかで思う存分に本を読むその時間が、明日への活力というか、よりよく生きるぞみたいなモードであったり、生き続けていく希望の根拠のようなものになったらそれ最高だな、そんな場所であれたら最高だな、と、そんな気持ちでやっています。
『本の読める店 フヅクエ 案内書きとメニュー』

店内では大澤真幸『量子の社会哲学』を開き、読む。この本は環境変えて気合い入れて読み始めるくらいでないと太刀打ちできなさそう、と思っていたらやはりそうで、けれど随所に我々の生活に身近な例が示されたりして、どういうこと、文系の私には手に負えません、みたいな気持ちになった瞬間にさっと手を差し伸べてくれるような感じがある。まだ量子力学の話には至っていないが、そこにたどり着くまでの科学史を中心に同時代の絵画、文学、社会制度と分野を軽やかに飛び越えて論を展開していくさまがあまりに鮮やかで、早くも付箋だらけになり、結局fuzukueにはサンドイッチとコーヒーを頼んで4時間いて、途中休憩の散歩を挟んだりしながら本当に読むことに没頭することができて圧倒的な読書体験だった。

出て、妻と合流して初台の街を少しぶらついたあと妻の実家へ。東京の下町っぽいエリアに来るたびに思うが、店舗と住居がこれだけの密度で詰まっているのは本当に新鮮で、あと坂が多くて、京都だともう少し「住宅街は住宅街」という感じで経済圏はすこし分離されているというか、もちろん京都の住宅街にもお店はあるのだが、街を歩いているとそのテンポ、アパート、民家、民家、アパート、肉屋、あっもうこんなタイミングでこんな賑わってる肉屋が出てくるんですねといった感慨がある。京都はもう少しそのテンポがゆっくりで、密度が低い。妻の実家で夕食をいただいて、はじめて実家の風呂に入り、布団を借りて眠る。

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