とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

5月14日(火)〜16日(水)

5月14日(火)

午前、散歩のち少し休憩。午後、思い立って図書館に籠もり本を読む。盛山和夫ほか編著『社会学入門』。トイレに向かう途中で学生が勉強しているのが目に入り、手元を見ると公務員試験対策のようだ。人によってはストップウォッチを置いていたりする。試験が近いのだろうか。

本書をざっと読んで、社会学を学ぶということは、自分が生きている上で直面する個人的な問題や置かれる状況、あるいは考え方の傾向のようなものは、社会の大きな文脈上にあり、その影響を少なからず受けている、という視点を獲得することだ、というようなことをメモする。疲れて、伸びをして、ふらふらと棚を徘徊していると太田明日香のエッセイ『愛と家事』が目に入りぱらぱらとめくる。「家族をつくることに失敗した。」という書き出しが目に入り、さっきまで「家族社会学」の章を読んでいたところだったから「家族の愛情中心主義は近代に特有のもの」みたいなことを思い出したが、思い出したところで留めておいた。個人経験に基づいて綴られた私的な記録を、急に概念的に捉えるような頭の働きがあった。これは気をつけたい、というか、それは概念を頭に入れれば入れるほどそうなるし、詩は詩として、散文は散文として、千葉雅也的にいえば「玩具的に楽しむ」というところをきちんと片手に持っておきたい。

5月15日(火)

午後、家族面談というかたちで妻と一緒に主治医の先生に話をきく。いつのまにか「リハビリ後期」という時期に突入していたらしい。帰り道に北大路駅で降りて地上に上がり進むと橋のほうに行くにつれて人が増えてゆく。京都に住んでもう何年にもなるが、葵祭の行列を見たのは初めてだった。平安、という感じの衣装を身にまとった人たちが篭のようなものを担いだりしながら練り歩く。馬もいた。途中、着物の袖からパウチタイプのアクエリアスをそっと取り出して吸っていたおじいさんがいた。男ばかり歩いている中に女の人がいる、と思って見てみると地味な白い着物で、箒とちりとりとゴミ袋のようなものを持っている。ひょっとして馬の糞の処理をしているのだろうか。

5月16日(水)

朝、平安蚤の市に向かうべく自転車を転がしていると雨が降ってきたので橋の下に避難した。この時間帯にしてはめずらしい、まさにスコールという感じのスコール。自分のほかにもスーツ姿でヘルメットをしたクロスバイクの男性、ランニング途中の屈強な体格の人、ママチャリのおじいさんなどがいて、スマホを見たり川を見たりして、少し笑ってしまうような勢いで落ちてくる水の束を見ながら、いっときの共同性がここにあるなと思う。

市は盛況。ブックエンドとか本棚の肥やしになりそうなものをいくつか買った。出て、府立図書館でいくつか目当ての本を持って目を通す。永田望『積読こそが完全な読書術である』を読んで目が開かれるような思いがした。

以前、書店でタイトルだけ見て「ああなんか軽薄なノウハウ本かしら」と思ってスルーしていたが全くそんなことはなかった。「現代はあらゆるメディアから情報が過剰供給される現代(情報の濁流)」であるという前提に立ち、そもそも「完全な読書」などというのは不可能であるという点を抑えつつ、だからこそテーマを決めたうえで自分なりの自律的な積読環境を積極的に構築することで濁流に抗え、それは資産になる、という感じの内容だった。

現代社会が、あらゆるメディアでコンテンツが過剰供給されていて、過剰供給されたコンテンツがどんどん蓄積されてゆく「積読環境=情報の濁流」である、というこを繰り返し述べてきました。現代社会に生きるということは、この情報の洪水に身をさらしながら生きるということにほかならず、それに抗うことは困難です。(p.41)

現代を生きる人は、社会で進行している積読環境に抗って「自分なりの積読環境」を構築しなければなりません。情報の濁流という大きな積読環境のなかに、自作の積読環境を生み出し、運営するのです。(p.42)

何かを読みたいという気持ちがある人は、まずは読んでも意味がわからないことを覚悟したうえで、ある程度の投資をすべきなのです。読みもしないでこんなに買って積んでいいのだろうか、というくらい、本をまずは手元に集めましょう。積むのです。(p.113)

そりゃあ書評が仕事の著者だからそこまでやれますよね、という感じがしないでもなかったが、千葉雅也が『勉強の哲学』で書いていたように「テーマを決めて有限化する」というのはやっぱり言っていることは同じで、さっそくグーグルのスプレッドシートを開いて積読リストをつくり始めた。

夜、ずっと前に書いた、読んだ本についての文章をインスタに上げてみる。が、やっぱりいいねがつくかどうかが気になり、かつ、やっぱり自分で読んでも文章が長いわ、と思い別の方法を探そうという気持ちになる。

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