とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

3月25日(月)

自宅フリマは盛況だった。じっさいに自宅を訪れてくれた人数は2桁に満たないのだが、この家の広さ、告知期間などを考えれば、なによりこれをきっかけに色々な人が自宅にやってきてくれ、話をし、関わりを持つことができたという点でとても満足感があった、その意味で盛況だった。と同時にとても疲れてもいて、我々が日常を過ごしているリビングはフリマ仕様、つまり机の位置も違えば普段は目につかないようなもの、売り払ってもかまわないと思えるものが何をしていても視界に入る、という状況が我々にとって小さな小さなストレスで、まずはそれらを片付けて日常を取り戻さねばならず、けれど身体は言うことを聞かなくて午前中から長風呂をすることしかできない。

昨日、来てくれた友人のMさんが手に取っていたレイモンド・マンゴー『就職しないで生きるには』のことを思い出し、風呂に持ち込む。この本も実家から持ってきたもので、持っていることすら忘れていたが、冒頭に線が引いてあり、その後はまったく線がなく、途中で読むのをやめたことがわかる。試しに、続きを読み始めてみるとたしかに著者が取り組んだ具体的なビジネスの内容、それに至る経緯などの箇所はどうにも頭に入って来ず、それならばと各章の冒頭などを手がかりに目にひっかかる箇所を拾って読み進める。

私たちは戦争を起こし、核廃棄物をつくりだし、カルマという自然の摂理に心をいためることもなく、隣人をあざむき、コケにできると考えている。わたしたちは、この世だけがたったひとつの生命だから、チャンスのあるうちに、うばい、優位に立とうと思いこんでいる。いまのようにものにくさりでつながれているかぎり、わたしたちはみじめで悲しい。数字は無限で、どれほど長い数字の列をつくっても、さらに欲望がのこる。わたしたちが生命そのものをこえた高い目的のために生きたいとねがうのは自然なことだ。

生命そのものがまだまだ安いからだ。わたしたちは、おそろしく傷つきやすく、限りある寺院の中に生き、再生産する。わたしたちの幸福、平和、そして生きているあいだは大切なものすべてが、心のなかを吹く風にとびこみ、でていく、とらえどころのない感情なのだ。根源的な、つまり、ほんものの、利益とは、だから、ひどく非現実的で、かたちの定まらぬ、想像的なものだ。そしてそれは店では売っていない。

レイモンド・マンゴー『就職しないで生きるには』p.208

読書のしかたとして「通読・精読しないといけないのか問題」というのがあると思う。自分はむかし仲良くしていた友人の影響で精読しなければ読み切ったことにはならないのではと思っていたふしがある。が、本書のこの箇所を読んで自分にとってこれはいったん「読んだ」ことになった。文字を追う頭が反応し一瞬で目が数ミリだけ見開いて読み込んだこの数行、そして訳者あとがきによれば本書の原題は『根源的利益"Cosmic Profit"』。根源的利益。就職するとかしないとかそういうことではなく、資本主義社会において、根源的利益と呼べるものをどうすれば身近に置き、慈しみ、ともに育てていくことができるのか、60年代におけるその試行錯誤が書かれている。それらの問いは現代にも通ずるもので、いま自分が直面している課題でもあり、この取り組みを前に進めるためには失敗に終わった側面があると耳にするヒッピー・ムーブメントや、資本主義社会のありようについてやはり踏み込んで学ぶ必要がある、ということがわかり、中盤の著者の具体的なビジネスの試行錯誤についてはいずれ読むべきときが来るだろうと思い棚に戻す。

そう考えると数か月前にメルカリでSpectator『パソコンとヒッピー』を売り払ってしまったことを湯船の中ではげしく後悔した。もうひととおり読んだしな、高値で売れるし売ってまえと考えた自分を叱ってやりたい、もはや安易に本を売るべきではない。これからはいちど手元にやってきた書物は資産なのだ。どんな書物であっても丁寧に扱うようにしたい。