とりあえず日記

とりあえず日記

生活の記録

5月19日(日)〜21日(火)

5月19日(日)

活動続きで一日じゅうダウンしていた。身体労働、対人コミュニケーションの連続。頭がぼんやりとして身体も重く寝たり起きたりして、ミニ四駆が題材のアニメ『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』がYouTube公式チャンネルに上がっているのを観た。このアニメは後半「世界グランプリ」というミニ四駆の世界大会が描かれるのだが、そこに登場するミニ四駆は「GPチップ」という人工知能が搭載されていて、マシンの持ち主の指示を受けて加速したりコーナリングしたりする描写がある。小学生の頃は「そんなアホな」と思いながら楽しんで見ていたのだが、最近はそれをリアルに再現しようとしているミニ四駆系YouTuberが何人もいることを最近知った。マイコンを搭載して、3Dプリンタで専用のシャーシを造って……といった作業を繰り返していて、トライ&エラーの精神が見ていて楽しい。

5月20日(月)

思い立って本棚3号機を制作。これでようやく「他律的積読環境のなかに、自律的な積読環境を作る」(永田希『積読こそが完全な読書術である』)ための準備が整ったように思う。自分の読書履歴のアーカイブとしての本棚と、いまの自分の関心の定期的に更新・点検していくビオトープとしての本棚を分けることができる。

5月21日(火)

起床、洗濯、ストレッチ、散歩。

この日は妻が徒歩で出勤するというので、途中までついてゆく。普段の散歩はただ歩く、木とかを見ながらぼんやり、という感じだが出勤者のペースに合わせるとスピードは上がりテンポも速くなり、より「運動」感が増す。「下鴨神社の新緑がすごい」という話になり、とはいえピークは5月初旬だった。冬を終えて草木が萌え、緑成分が視界に増えたみずみずしい、生命力あふれる下鴨神社の参道・糺の森は確かに異様なエネルギーを放っていた。

しかし木々はあれからも生長をつづけているはずで、そうすると今のほうがもっと迫力があってもよいはずという議論になったが、きっと新芽はつるんとしていて光をよく反射するのではないか、という見解に落ち着いた。室内に置いているウンベラータがそうで、古参の葉っぱたちよりも新参の、さっきお目見えしたばかりの葉っぱたちは艶々としていて触るとちゅるんとしている。

帰宅、しばし休憩のあと『積読こそが完全な読書術である』のメモを作成する。

”書物そのものが、読書の時間を閉じ込めたひとつの資産なのです。不動産の投資は、地面や部屋などの空間に対する投資ですが、書物を蓄えるのは時間への投資なのです(p.163)”

”書物のほうからすれば、別の時代の誰かが読んでくれればいいのです。あなたにとってそのタイミングが来なくても、その書物がいつか誰かに読まれるならば、そのタイミングまで本を待たせてもいい。(略)だからこそ、積読の濁流のなかでビオトープを作り情報のカオスへと蔵書が拡散してしまわないよう守る必要があるのです"(p.144)

現代は情報の濁流のなかにある。とても身に覚えがあり、それはたとえば、いわゆる独立系書店のSNSをチェックしていても感じることだ。どれだけ好みの書店、行ってみたい書店のアカウントであっても、次々と提示される本、それらは何万部も売れるベストセラーとはちがい、個人出版社がこだわり抜いて丁寧に作られた一冊であったり、気鋭の思想家による骨太の人文書であったりする。複数の書店アカウントでそれらを目にしたとき、反射的に「読みたい」という欲が刺激されるが、それは情報の濁流に飲まれていくことと紙一重なのだろう。だからいったん落ち着いて、永田のいう「自立的な積読環境」をつくる必要がある。そこを足がかりにして、自分の書棚を定期的に点検しながら、応援したい書き手の本に手をのばし、懇意にしている書店を訪ねればよい。

午後。図書館で借りてきた奥野克巳『はじめての人類学』を読む。はじめに、目次、あとがき、終章、という順番で拾い読みをしていく。ティム・インゴルドの本をリストに追加した。夜、頭痛。少しはりきりすぎたのかもしれない。

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